旅人のじいちゃんに壮大な歴史物語を学ぶ( ゚口゚)=3
3連休最終日の今日も天気が良いので、以前偵察に来ていた本佐倉城でおにぎりランチしてみようかと( *´艸`)
相変わらず人っ気がなく、行楽日和だというのに静かなもんです;つД`)
セブンで買ったおにぎり片手にえんやこら。奥の山のベンチのあるところまでせっせと登っていきます(*´ω`*)
ちょうど木陰にベンチがあるので、強めの日差しも大丈夫~(^^♪
ホットの綾鷹と、おにぎりランチ弁当にきんぴらごぼうをいただきます♨
野菜系総菜がみんな袋詰めになっている中、なぜかごぼうだけはトレータイプ。こういうときに助かりますね(^-^)
食感もしゃきしゃき、甘辛の味付けがこの田舎の空の下、ほっこりほっこり♨
おにぎりはシャケとツナマヨ。まあ定番ですね。それと玉子焼きとからあげとウインナー( ˘ω˘ )
風も程よく吹いてくれて本当に快適な外ランチになりました。ごちそうさま!(^◇^)
……と、ここで終わらなかったのが今回の面白いところ。食休みをしているとバックパックを背負ったじいちゃんが一人現れまして('ω')
気さくに声をかけてくれたので話し込んじゃいましたよ……いや、話し込んだというよりこの方の豊富な歴史知識を聴く一方になってしまったのですが(;´∀`)
このじいちゃん、京成酒々井駅からレンタサイクルでここまで一人で来られたそうなんですが、こんな山の中に自転車って、まずそこがすごい……;つД`)
そして語られる本佐倉城の本当の歴史。案内板によるとこの本佐倉城主の千葉氏は、縁戚関係にあった北条氏とともに豊臣に滅ぼされた、としか書かれていないのですが……(;・∀・)
このじいちゃんの話によると、千葉氏はまずそもそも平将門の系譜、つまり平家に由来する家系だったそうなΣ(゚Д゚)マジですか
そして皮肉にもそこへ逃れてきた源頼朝を助けたことをきっかけに、鎌倉時代には全国各地に千葉氏所縁の家系を広めることが許されたのだとか( *´艸`)
その後、今の南房総である安房国の領主、あの里見八犬伝で有名な里見家とぶつかることになり、しかも里見家は関東管領上杉の援軍を得て猛攻( ゚口゚)=3
そのため千葉氏は相模国の北条氏を頼りこれに対抗、戦を制し上総国までを領地とすることになったそうです(`・ω・´)おおー
その後、豊臣秀吉が小田原征伐で北条氏を攻め、いよいよ落城の危機に。千葉氏は豊臣方に寝返ろうとするも当然北条氏に押さえられ、使者を送ることすらできずにいたのだとか( ゚Д゚)ハラハラ
しかしとうとう北条氏が敗れ、このとき北条氏と繋がっていた千葉氏も一蓮托生で討たれるのかと思いきや、寝返ろうとしていた事実があったからなのか、運良くも咎められなかったのだそうです(;´∀`)ほっ
しかしここで致命的なミス!このどさくさ紛れに千葉氏は北条領地だった鎌倉を制圧!そのせいで清洲会議に出遅れてしまい、この行動が秀吉にバレてしまったそうな……( 一一)ナニヤッテンダヨ
「鎌倉は元々千葉領だった」という主張も空しく、無断でこれを行ったことを罰せられ領地はお取り上げ、千葉氏宗家の歴史はここに幕を閉じたのだそうです;つД`)がびーん
このとき南房総の里見家はしっかり小田原征伐に加勢して豊臣方についていたため、その後の房総半島は一時里見家が治めたそうなんですが、これも惣無事令違反とやらで上総下総はお取り上げ、元の安房一国のみの領地となったそうです( ;∀;)
それでも江戸時代以降も里見家は館山藩となって残るわけなんですが、最後は友好関係にあったはずの徳川家に滅ぼされたらしいんですよね……その理由がまたなんとも(;´∀`)
南房総って言うと三浦半島とともに東京湾の出入り口にあたる領地。つまりその海域を抑えられてしまうと江戸の物資調達が困難になってしまうというのです( ;∀;)
しかもそこに輪をかけて里見家は強力な水軍を持っていたそうなので、徳川にすれば目の上のタンコブ……これを直轄領地にしたくてしょうがなかったんだとか( ゚Д゚)
そこで都合よくなにやら事件というか不祥事っぽいことがあったらしく、その事件の主犯の奥さんが里見家の出?だったとかで里見家領主が失脚、さらに本当はいたはずの後継ぎもいないということにされ、もうほとんど難癖同然の処分で里見家は滅亡することになるんだそうです。ちょっとこの辺はよく覚えてないのですが……;つД`)スイマセン
まあ壮大な歴史物語というより、歴史の裏側を覗くようなお話でしたが、なんともヒューマンドラマティックで面白かったですよ( *´艸`)
ちなみに現在でも館山は国防上の要衝ということで、海上自衛隊の基地が置かれていますね。地理的な戦略ってのは、今も昔もやっぱり変わらない……( ˘ω˘ )