地元佐原では今でも「先生」と呼ばれている伊能忠敬の記念館( ˘ω˘ )
ここ小江戸佐原を代表する偉人といえば誰でも知ってるあの方!江戸時代だというのに衛星写真とほぼ一致する精巧すぎる日本地図を測量だけで作り上げたという、伊能忠敬その人です(*´ω`*)
平成の世も深まった今日でさえ、地元の人々は尊敬と親しみを込めて「伊能先生」と普通に呼んでいるのです(^-^)
そんな伊能忠敬の生涯と偉業の詳細を今の人々に伝える記念館があるので、今回は初めて見てみました♨
入り口から入ってすぐのところにいきなりどーんとあった謎のチクチクオブジェ(;´∀`)
地元の高校生の作品だそうで、つまようじをプロットして描いたモザイク画の伊能忠敬だそうです!すっごいね( ゚口゚)=3
こういう緻密さこそが伊能忠敬の仕事における精神だったということを、よく表してる作品なのかもしれませんねぇ……( ˘ω˘ )
館内はどうなってた?
いや~それが残念というか当然というか、まあ撮影禁止ですわな普通に;つД`)だから文章だけつらつら
まず最初はとにかく、現代の最新技術で撮影した衛星写真の日本と江戸時代の測量技術で書き上げた伊能忠敬の地図を透かし合わせるっていう、番組なんかでもお馴染みのあの見せ方(*´Д`)
これがもうほんとにほとんど一致。え、この地図を「測量で」作ったんすか?っていうΣ(゚Д゚)
そしてメインブースでは、伊能忠敬の生涯を大きく「佐原時代」「天文学入門」「測量出発」などの期間に分けて、時代背景や国の動向などと照らし合わせて、その人物像や詳細な足跡を追っていました♨
当時の測量道具の展示や、映像作品で概略を観るコーナーなんかもあって、かなり充実してました(*´ω`*)
伊能忠敬は2つの偉業を成したと思うんですよね……
17歳で養子に入った商家の財政を大きく立て直すという類稀な商才を発揮しながら、飢饉のときには惜しみなく人々の救済に尽力し、町で餓死者を一人も出さなかったのだそうです( ˘ω˘ )
まずはこれが1つ目の偉業ですよね……やっぱり地元に慕われる理由は、地図を書き上げる以前からこのような人物像に対して皆が感謝し感銘を受けていたからなのでしょう;つД`)
そして人生60年というあの時代にあって、49歳で隠居してからは時の天文学者であった高橋至時の弟子としての入門、そして55歳で自ら学者として東北から道南にかけての測量に出かけます。この第1次測量のときに作成された地図の一部が幕府に認められ、正式に全国の測量を命じられたと言います(*´ω`*)
この第1次測量までの地図ってのも実際に展示されてたんですが、なにしろ「作りかけ」っていうリアルさが余計にその仕事の凄みをひしひしと伝えてくるんですよね……身近な例ではうまい人のイラストなんかでもそうですが、そういう作成中の生々しさが放つ独特のオーラってありますよね……( ;∀;)
そしてそれから17年、第10次測量までを経て、ついに生涯2つ目にして最大の偉業「大日本沿海輿地全図」の完成と相成ったわけです;つД`)
当然ながら当時は国家プロジェクトとして機密中の機密であったでしょうが、この地図が一体当時の防衛戦略にどれほどの力を与えたことでしょう。特にこの完成は幕末近くということもあって、大政奉還後の明治期にあっては富国強兵政策などにも大いに威力を発揮したことでしょうね……♨
こちらが記念館パンフレット。概略ですがここの本文よりも100倍詳しく書いてあると思います;つД`)
裏面~♨
時代劇の伊能忠敬?
「三匹が斬る」っていう時代劇があるんですが、かなり架空のファンタジー時代劇のようでありながら、実は劇中に伊能忠敬が登場します( *´艸`)
しかもその実態は、全国測量という御用のために関所をフリーパスできる権限を利用した裏の仕事、つまり公儀隠密を兼任していたという設定なのです(∩´∀`)∩
こうして本当の人物像を詳しく知ると、そういうファンタジックな設定にも深みが増してきたりしてなかなか良いものですのぅ♨