廃病院の4階

やっぱり話すんじゃなかった。 乗り気じゃなかったけど結局押し切られる流れになって、俺も今その廃病院の前に来ている。

話した内容はこうだ。

30年ほど前はこの廃病院もまだ現役でやっていて、実は俺はここに一度だけ入院したことがあった。 当時まだ子供だった俺は一緒に入院してたやつと友達になって、たまに院内を探検したりしてた。

知ってるか?この病院って本当は4階まであるんだぜ?

あるとき自慢気にそんな話をされたんだが、確かにエレベーターも階段も3階までで、子供ながらに不思議だった。 でもその友達がまた面白い奴だったから、ただふざけた妄想話でゲラゲラ盛り上がったりしてた。

それから数日してもうすぐ退院って頃、1階のロビーに缶ジュースでも買いに行ったときだったかな、裏口から救急車でお腹の大きい女の人がバタバタと運ばれてきたのを見たんだ。 そういう現場は初めてだったから、その異様な緊張感に当時はただただ圧倒された。 あとで付き添いで来てた母親から、もうすぐ赤ちゃんが生まれるのよって聞いた。

その日の夜中、俺は3階の病室で横になっていたんだが、天井の向こうから微かに赤ちゃんの泣き声が聞こえたんだよな。 ああ生まれたのかーなんて思ったのを覚えてる。

それから数年後、あの病院は潰れたらしいと聞いた。 俺はそのときふと気になって、その病院のことを調べてみたんだ。何となく変な違和感があるような気がしてたんだよな。 そしてまさかとは思ったけど、悪い予感は的中した。

この病院、もともと産婦人科がないんだよ。

そんなモヤモヤした薄気味悪い事実を知ったところで、そのときは誰に話すタイミングもなかった。 そしてさらに数年が過ぎた今、会社の悪友で心霊スポット探索好きのこいつらを本気でビビらそうと思って、ついにそのとっておきの話をしたってわけさ。 まさか本当に行こうって言い出すとは思わなかったんだけどな。

だいたいこの病院、実際来てみるとわかると思うんだけど、かなり雰囲気あるんだよ。なのにネットで調べても心霊系の記事や動画がまったく出てこない。 このご時世にそういうのって、逆に何か決定的に触れちゃいけないものでもあるのかとさえ思う。

いよいよ建物に突入。もう廃墟になって数十年経つわけだから、当然中は割れたガラスが散乱していたりと、荒れ放題でかなり危ない。 でも探索慣れしてるこいつらの指導のお陰で俺も今日は装備が整ってるから、わりとスムーズに進んでいける。 2階、3階と、記憶にあるままの地図を頼りに階段を上り、まだ医療器具なんかも放置されている生々しい廃墟内の探索を続けていく。

そして当時は職員以外入れなかった3階のナース室。外界の光が届かない暗がりを懐中電灯で照らしながらよく調べてみると、奥に鍵がかかったままの扉を見つけた。 仲間の一人が、こんなこともあろうかと、と言って特殊な工具を取り出す。ドアノブをかちゃかちゃ細工すると、いともあっさりと鍵が開いた。

扉を入った瞬間、急に別世界。資料室のようではあるが、どことなく空気が重く淀んでいるというか、長いこと外界と遮断されていたことをまざまざと感じさせる異様な閉塞感。 ここから先は見てはいけないような気配を全員が感じつつも、その部屋を慎重に照らしていく。 すると奥に、人一人が通れるくらいの細い上り階段があった。

ついに4階に踏み込む。ずっと喉につかえていた違和感に対する答えが見つかるような気がして、このときは一時的に恐怖心の奥底に変な期待感が芽生えていた。

階段を上ると、そこはやはり窓も一切ない真っ暗闇。照らしてみると、どうやらエレベーターホールのようだ。 なるほどエレベーターは4階まで来られる造りだったらしい。普通のボタンが存在しなかったのは、職員用の特別操作が必要ということだったのだろう。 しかしずっと閉ざされていたお陰だろうか、まるで廃墟らしくない綺麗さが保たれているのが逆に不気味だ。

4階の構造はやけにシンプルで、エレベーターホールから伸びる廊下の先に扉が一つあるだけだった。 そういえばここに入る前に改めて建物を見たんだが、やはり外見上も3階までのように見える。おそらく屋上の真ん中に別棟が建つような造りになっているのだろう。 それにしても窓がないというのがやはり異様で、この先にただならぬ秘密があるような気配を感じずにはいられなかった。

そしていよいよ最後の部屋。ここにもやはり鍵がかかってたので、工具の出番。かちゃん、という鈍い音が響く。 扉はやけに重く、ぎぃーっという音を立てて開く。 先頭のやつが中に懐中電灯を向けた瞬間、うわっという声を上げてドン引く。

見ると正面の壁一面に、何かの宗教施設を思わせるような巨大な祭壇。 その上に祀られているのは、手足が異様に長い、腹の大きな異形の女神。 左右の壁には無数の札が貼られ、中央には奇妙な装飾が施された真っ赤な巨大テーブル。 その上には黒っぽい嫌なシミが広がり、そしていくつかの注射器やメスのような医療器具が転がっていた。 だいたいこの部屋全体にこもる何とも言えない異臭は何なんだ?

全員で顔をしかめながら、一歩また一歩と慎重に踏み込んでいく。 明らかにヤバい部屋。かつて何かとてつもないことが行われていた記憶というか、怨念めいたものがそこら中に漂っている気がする。

これまでの不穏な事実を繋ぎ合わせるに、やはりここでは不法な出産行為が行われていたということだろう。 つまり生まれたての赤ん坊に何か宗教的なまじないでもかけるような、特殊な分娩室ということか? いや、それにしてはあまりにも……

ふと祭壇に置かれた木箱が照らし出された。「御神供」と書かれている。 さすがにそういうのは触るべきじゃないと皆口々に言うが、一人が俺に任せろと粋がって勢い任せにその蓋を開けてしまう。

見ると、干からびた短い紐のようなものが大量に詰まっている。 何だこれは……まさかへその緒?

その瞬間、開け放しておいた扉が突然バァンと音を立てて閉まる。 そして部屋がゆらゆらと揺れ出す。

すぐ箱の蓋を元通りに閉めたのだが、揺れは収まらない。 皆一様に凍り付いている。こんな気持ち悪い揺れ方が、ただの地震のわけがない。

やがて揺れが収まる。もうさすがにこれ以上荒らすことはできない。 もはやどこまで調べても謎が解けることがないのは明白だった。

部屋を出ようとドアノブに手をかけたとき、何か嫌な気配を感じて一瞬躊躇する。 しかし皆に急かされ、震えながらドアノブを回す。まさか閉じ込められたなんてことだけは、ないと信じたい。

嫌な汗を感じながらぎぃーとドアを開ける。どうやら閉じ込められてはいないようだ。恐る恐る廊下を照らす。 ふとそれを見た瞬間、またしても固まってしまった。

廊下中に広がる夥しい血痕。しかも今出たばかりかのように妙に生々しくどろどろとしている。 それに壁中に赤い文字で何か呪文のようなものがびっしり。こんなものさっきまでなかったのに。

ここを歩くのは絶対に嫌だ。しかし通らなければ帰れない。 竦む足を気合で進めながら、ぴちゃぴちゃと水気の多い足音にいちいち戦慄を覚えた。帰る前にお祓いに行こうなと、誰かがつぶやいた。

エレベーターホールの闇がやけに深く見えた。懐中電灯の光がいまいち届かない。 そこから微かに、何か聞こえてくるような気がする。皆足を止め、聞き耳を立てる。気のせいではない。

赤ん坊の泣き声…… 泣き声というより、何かもっとか細いうめき声にも似たような。

そしてよく目を凝らすと、エレベーターホールの暗闇に黒い異形の影が見えた。 白いボロ切れを纏い、ガリガリに痩せた細長い手足で虚ろに佇むそれは、腹のところが破れてぽっかりと黒い穴が開いている。そしてその頭は、まるで赤ん坊……

その不気味すぎる風体に、全員声も出ない。背中に強烈な悪寒が走りだらだらと冷たい汗が流れ落ちるのを感じる。 これはもう俺たち全員終わったんじゃないかと本気で思った。

カエセ。

カエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセ……

壊れたCDみたいに無機質に繰り返しながら、突然猛烈にガチャガチャと駆け寄ってくる異形。 うわああああああ!と仰け反りながらも、一人が手に持っていた何かを思わず投げつけた。

異形はひいぃぃという金切り声をあげ、煙のように消える。 何が何だかわからないまま、俺たちは興奮気味に震えながらも早足でエレベーターホールを突っ切り、階段を下りてそのまま廃病院を全力で抜け出した。

無論そのまま帰るなど到底考えられず、確実なお祓いをお願いすべく、こいつらが行きつけというある高名な住職のもとを訪ねることに。

訳を話すと住職はやや厳しい表情になる。そして静かな口調で、あなた方はあの廃病院に行かれたのかと、問いただすように改められてしまった。 とにかく話は後。俺たちは全員裸にされ、全身にお経のようなものを書かれた。まるで「耳なし芳一」だ。 そのまま奥の部屋に通され、伽藍に向かって横一列に座る。そして各人の前には盛り塩と大きな蝋燭を一本ずつ。「破邪の行」が始まったら一切口を利かず、また燃え尽きるまで蝋燭の火から目を離さないようにと指示された。

部屋の明かりが落とされ、俺たちはとにかく目の前に灯された火を見つめる。じりじりとなかなか減らない蝋燭。 何時間くらい経った頃だろう、お香の香りで満たされていたはずの部屋が一変、どこからともなくあの廃病院の祭壇部屋と同じ異臭が漂ってくることに気が付いた。 そしていつしか視界の片隅に、白い煙のようなものがふわふわと現れ始める。どうやら俺の体から出ているようだ。

蝋燭は翌朝になってようやく燃え尽きた。 徹夜で一点を見つめ続けたので首が凝り全身もぐったりだったが、今は異臭も煙もなくどうにか全員揃って完了できたようだ。

服を着て顔を洗い、それから住職から薬膳粥の提供があったのでありがたくいただく。 その席で住職からあの廃病院のことをどうやって知ったのかと尋ねられたので、俺はかつてあそこに入院していたことから順を追って説明した。 住職は黙って聞いていたが、最後に静かになるほどと一言。そして長年悩まされてきた俺を労われ、救いになるかどうかはあなた次第でもあるがと前置きしたうえで、あの廃病院の真実について語り始めた。

かつてあそこで行われていたことは、言葉にするのも憚られるような禍々しい邪教の儀式だという。 しかし裏でその教祖を兼ねていた院長が突然の自殺。それに続くように、儀式に関わっていたと思われる医師や看護師たちも次々に事故や自殺で不審の死を遂げていく。 途端に病院は経営難となり、その後たった数か月で廃業。惨劇の事実はとうとう表沙汰になることもなく幕を閉じた。 廃墟となった病院は取り壊される資金もなく放置されることになるのだが、やがてそこに今の俺たちのような無謀を犯す者たちが現れたのだそうだ。

そしてそのことごとくが、その日のうちに何らかの形で命を落としていったのだという。 あまりに本物の不幸が続けばそれは禁忌となる。あれだけ存在感のある廃墟でありながら、心霊の類の話が世の中に出回らないのはそういうわけだろう。

俺たちはそんな危険な場所に踏み入れただけでなく、その核心にまで迫った。通常ならあの場所から戻ることさえ叶わなかっただろうに、本当に奇跡的に運が良かったんだそうだ。

住職の言葉に俺たちは改めて、恐怖と安堵の入り混じった不思議な感覚を覚えた。

さらに住職が言うには、その奇跡にはある地縛霊の存在が関係しているという。

まだあそこで妙な儀式が行われ始める以前のこと。かつてあの病院で不幸にも亡くなった孤児がいたそうだ。 その子の母親もまた同じ病院で亡くなっていたということもあって、その子の魂は母を求める地縛霊となって病院に残ってしまっていた。 やがて院長が教祖を名乗り病院全体に異様な邪気が満ち始めると、地縛霊はとても苦しみ、そして悲しんだという。

院長の突然の自殺やその界隈の者たちの後追いは、まさにその地縛霊の呪いであるとも言われている。

そして知られざる4階の存在。普通の子供になど到底知り得るはずのない、組織的な隠ぺい。 そんな事実をあのとき俺にはっきりと伝えた友達こそが、その地縛霊そのものだったのではないかということだ。

昨日、廃病院の4階で俺たちが取った行動には、実は深い意味があったらしい。 一つは「御神供」の箱の蓋を開けたこと。もう一つはそこから這い出した怨霊塊に、邪教の神体をぶつけ相殺させたこと。

俺たちにとってはまったくの偶然でしかなかったその二つの行いによって、あの空間に満たされていた「虐縛の結界」と呼ばれる封印が完全に破られたということだ。

そう、あの恐ろしい化け物に仲間の一人が咄嗟に投げつけたあれは、祭壇の上に置かれていたあの不気味な神の像だったようだ。 なんでも金目のものだったから、俺たちの見ていない隙にこっそり持ち帰ろうとしていたらしい。

とにかくその封印が解けたことによって、邪教神に囚われたままになっていた母子の魂の開放、そしてすでに邪教神に喰われ怨霊と化した母子の魂の浄化という、二つの大きな成仏が叶うことになったのだそうだ。

その行動に導いたのは、紛れもなく地縛霊による憑依の力。

しかしたとえそれを成し遂げられたとしても、当然あの場所に踏み入れた俺たちには幾多の亡者の群れが憑き纏ってきてしまう。 そんな俺たちを最後まで死なせないため、命を繋ぎこの住職のもとまで導いたのもまた、地縛霊による言霊の力。

そういえば廃病院で祭壇部屋を出た矢先に聞こえた、帰る前にお祓いに行こう、という言葉…… あれは俺たちの誰の声でもない。

あれは確かに懐かしい友達の声だった。

幼くして母親を亡くした悲しみと、自身が亡くなってなおも母親を慕い続ける純粋な思い。 だからこそ目の前で母子の絆が次々と儀式の生贄にされていくことが、あいつにとって何よりも耐え難かったのだろう。

生きている人間の行いならば止めることができても、神の犠牲となった魂を救うことまではできない。 その可哀そうな母子たちを救ってやってほしいという強い願いを、あのときあいつは俺に託していたんだ。

あいつがなぜ俺を選んだのかはわからない。子供同士だったから何となく波長が合ったのだろう。 幽霊に取り憑かれるってのは、まさにそういうことなのかもしれないな。むしろ生きている人間同士と同じで、お互い様ってことだ。

俺にとってあのときの病院生活は、あいつがいてくれたお陰で本当に明るくて楽しかった。 あいつがたとえ地縛霊だろうと何だろうと、そのことだけは変わらない。

この思い出はこれからもずっと忘れない。 きっと無事に成仏してくれと、願わずにはいられない。

遠くで微かに、ありがとな、という声が聞こえたような気がした。

俺の目は涙で曇っていた。

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