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雪月花 第一夜「雪宿り」

雪が降ってきた。 おかしい。今日はそんな予報じゃなかったはずなのに。

僕はカメラ一式を背負って冬の山奥を一人歩いていた。 その足取りが自然と早まる。

程なくしてみるみる風が強くなってくる。視界は悪くなる一方で、だんだんと歩きづらくなる。 ちょうどおあつらえ向きの山小屋のようなものがあったので、そこに一旦避難することにした。 山の天気はすぐ変わるはずだから大丈夫だろうと、このときは思っていた。

……

一時間が経った。吹雪は一向に収まりそうにない。それどころか酷くなる一方のようにも思える。 スマホで天気予報を確認しても相変わらず「晴天」の表示のまま。まったく当てにならない。

じっとしていると体も冷えてくる。無理にでも歩くべきなんだろうか。 恐る恐る外に出てみるが、もはや数メートル先すら見えないくらいの猛吹雪。 とても歩ける気がしない。

一体どうしてこんなことに。別に山を嘗めていたわけじゃない。 いくら山の天気は変わりやすいと言っても、そもそもこのあたりの山で急にこんな猛吹雪になるなんていうことがありえるのか。

だんだんと気持ちが不穏になってくる。

「雪女」。 以前雑誌で妙な記事を読んでいたせいで、不意にその言葉が頭をよぎる。

確かこの山には雪女が棲むとかで、昔から地元民に恐れられているのだそうだ。

僕は基本的にそういう話はまったく気にしない。 そもそもこの山にも、もう何度も来ている。

しかし今回ばかりはそんな普段の行いがいよいよ仇となったのかもしれない。 今の状況はどう考えても普通じゃない。

その瞬間、小屋の扉がぎぃーっと勝手に開く。 吹き込む雪とともに入ってくる真っ白な着物姿の女性。

出た。

もはや声も出ずに一瞬で体が竦み上がる。

「こんなところで何してるんですか!?」

片隅で腰を抜かしている僕を見つけるや否や、逆にものすごく驚かれてしまった。 どうやら妖怪の類ではないらしい。

「いや……吹雪が収まるまで凌がせてもらおうかと……」 「こんなところにいたら凍えちゃいますよ!」

そう言って咄嗟に手を貸してくれようとする。

「だ、大丈夫!まだ何とか歩けますから……」 「そうですか?……でもこのままじゃ危ないですから、とにかくうちで温まっていってください!」

確かにこのままここにいるのはかなり危険な気がする。 抜けた腰をどうにか立たせ、ここは素直にその言葉に従うことにする。

彼女に連れられて一体どのくらい歩いただろうか。何やらどこかの建物に着いたみたいだ。 ガラス越しに温かな光が漏れる引き戸を、ガラリと開けて入っていく。

「さあ、どうぞ。」

後に続いて僕もいそいそと入る。

戸を閉めると、空気が温かい。 雪を払いながら、助かったんだと確信する。

見ればそこは何とも趣ある和の空間。 決して広くはないけれど、やんわりと上品さが漂う。

番台のようなものが見えるが、ここは旅館か何かだろうか? しかし僕と彼女以外には人っ子一人いなく、全体が落ち着いた静けさに包まれている。 外が吹雪であることすら微塵も感じさせない。

「どうぞ上がって、囲炉裏で温まってください。」

玄関を上がった先はロビーだろうか。ふかふかの絨毯の床に、ゆったりしたソファーと囲炉裏テーブルがあった。 囲炉裏にはすでに火の入った炭が置かれていて温かい。 僕は遠慮せずソファーに腰かけて、赤く灯る炭火にありがたく手をかざす。

「すみません、助かりました。急にこんな吹雪になるなんて予想してなかったもので……」 「いえいえ、お気になさらないでください。山の天気は難しいものですから……」

そう言いながら、さりげなく熱いコーヒーまで淹れてくれる。 地獄に仏とはまさにこのことだろうか。

「ここは……旅館なんですか?」 「はい、『湯庵 雪月花(ゆあん せつげっか)』と申します。まだ駆け出しの新米旅館ですが、以後どうぞよろしくご贔屓にお願いします。」

やはりそうだ。まさかこんな緊急時に旅館が見つかるなんて。

聞けば部屋はまだ空いているらしく、まさに九死に一生。 極寒の山小屋で長らくじっとしていたせいで、体は芯まで冷え切り体力もすっかり底をついている。 この吹雪もいつ収まるのかわからないし、もう今日はここに泊まってしまおう。

さっそく宿帳に「乙鬼葉流(おとぎはる)」と記名。そのまま部屋まで案内してもらう。 そういえば名前の読み方を聞かれなかった。珍しいこともあるものだ。

「どうぞ、こちらのお部屋でございます。」

襖を開けて部屋に入った瞬間から、真新しい畳の匂いがふわりと鼻に抜ける。 安心した途端、急に疲れが込み上げてくる。

ひとまず座椅子に腰を下ろして一息。 すると彼女が傍らに膝を着いて、すっと姿勢を正す。

「本日はようこそお越しくださいました。当館女将の白咲雪音(しろさきゆきね)と申します。」

ふと、その名前をどこかで聞いたことがあるような気がした。 ネット?テレビ?……いや、夢でも見たんだろうか? 今は疲れていて思い出す気力も出ない。

しかし失礼ながら見た目が若すぎるせいか女将さんと呼ぶイメージが湧かない。 じゃあ白咲さん?いや、雪音さんの方がしっくり来るような気がする。 馴れ馴れしいようだけど、直感がそう告げる。

「浴衣はこちらにお持ちしました。どうぞごゆるりとなさってください。」

そう言うと、丁寧に襖を閉めて行ってしまった。

一息入れたところで、まずはとにかく体を温めよう。 浴衣に着替えてさっそくお風呂に出掛けることにする。

湯暖簾をくぐる。脱衣場には先客はないようだ。 ぱぱっとタオル一丁になってガラリと内風呂の戸を開ければ、その先には見事な岩風呂。 いかにも温泉来たなーという気分にさせてくれる景色だ。

限界まで冷え切った体に温泉だなんて、さぞかし至福に違いない。 はやる気持ちを抑えつつまずは体を清潔にして、足先からかけ湯をし、白濁した湯に沈む。

「くぁー……」

自然とおっさんみたいな変な声が出る。 じんわりと体の芯まで染み込んでくる湯の温もり。ライフゲージが回復していく音がするようだ。

その瞬間、後ろでガラリと戸が開く音がした。 いよいよ他の泊り客との遭遇だろうか。

湯けむりでよく見えないが、やけに背が小さいような気がする。子供かな?

洗い場でわしゃわしゃと洗う音が聞こえ、しばらくしてかぽーんと湯桶が転がる良い音が響く。 やがてこちらにひたひたと足音が近づいてきて、湯の中にざあーんと入ってくる。

「いやー、良い湯ですにゃー!」

豆絞り柄の手拭いを頭に乗せて、いかにもまったりとした声で話しかけてきたのは、人にしては何かおかしい。 半分猫っぽいような、ゆるい顔の何か。

「やはりこの神里(かむり)温泉の湯は格別ですにゃ!」

流れるようにマイペースに話し始める。 神里温泉という名前にも引っかかるものがあったのだが、またしてもよく思い出せない。

「今は小さな一軒宿だけですが、これでも昔はけっこうな湯の町だったんですにゃ!」 「こんな良いお湯なのに、寂れちゃったんですか?」 「まあいろいろあったんですにゃ……」

何か曰くつきの温泉ということなのだろうか。

結局いろいろ話し込んでいたら、体を温めるどころかすっかりのぼせてしまった。

ひとまず湯冷まし処で瓶牛乳。 隣で彼もまた、腰に手を当てて瓶牛乳をぐいぐい飲んでいる。

「あ、そうそう申し遅れましたにゃ。ワガハイはこの旅館で居候してます湯猫(ゆねこ)と申しますにゃ。見た目どおりただの猫ですけど、よろしくですにゃ!」 「あ、はい……よろしくです。」

温泉のマスコットか何かかと思ったけど、考えたらそのままお湯に浸かってたんだから着ぐるみというわけでもなさそうだ。 この旅館は一体何なのだろう?

……

湯猫の話では露天風呂もあるということなので、部屋に戻る前に涼みがてらぶらりと偵察。 案内表示に従って露天風呂方面へ廊下を歩く。

途中、やけにひんやりした空気の場所があって足が止まる。 ふと見ると、旅館の景色とは明らかに異質な部屋。 その襖には注連縄が張られ、霜が降りているのか凍っているのか、きらきらと光っている。

何かのまじないだろうか。 不意に雪音さんのことが気になりだす。

ぎゅるる~と腹が鳴る音でふと我に返る。 そういえば今日は昼食を食べていない。 そろそろ夕食の時間だし、部屋に戻ろう。

……

「失礼します。お夕食をお持ちいたしました。」

部屋でローカル番組を見ながらだらだら過ごしていると、襖越しに雪音さんの声が聞こえた。

スッと襖が開いて、次々に運び込まれる料理。 程なくして卓上にはズラリと見事な懐石が揃った。

山菜、川魚、刺身こんにゃく……奥では固形燃料の炎で猪鍋がほこほこと湯気を立てている。 もちろん豪華な料理も気になるところだが、このとき思わず雪音さんの顔をじっと見てしまう。

まさか彼女が雪女ということはないだろうか。

明らかに疑いの眼差しを向ける僕と一瞬目が合ったのだが、彼女はただにっこりと微笑む。

「ごゆっくり。」

考えていても仕方がない。 寒さで奪われた体力を戻すためにも、とにかく目の前の夕食をいただくことにする。

……

腹もすっかり満たされ、あとはぐっすり眠るだけ。 完全回復まであと少しなのに、やはりどうしても雪音さんのことが気になってしまう。

静かな夜だが、よく眠れるだろうか。 というより、無事に明日を迎えられるのだろうか。

布団の中で暗闇を見上げていると、不安と安らぎが入り乱れては消えていく。 やがて疲れ果てた僕は知らぬ間に眠りに落ちる。

雪は音もなく降り続いていた。

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