本日5月28日は花火の日(*´▽`*)
本日5月28日は花火の日!もうここしばらくコロナ禍で花火大会も中止中止……花火だけじゃないあらゆるイベントが中止中止……スポーツ観戦もライブイベントも声出し禁止とかもうーっていう中でもね、せめて記念日くらいは祝おうじゃあないですかってんで(*´▽`*)
時は享保18年……この頃はまだ旧暦の5月28日だったわけですが、いわゆる今で言う隅田川花火大会の原型である「両国川開きの花火」ってぇやつが初めて開催されたのだそう。しかしこれが始まった当時は飢饉とコレラが大流行だったそうで、そりゃあもうきっと今以上にどん底……それゆえにこの花火大会は大勢の犠牲者に対する慰霊の意味も込められていたそうですね。特に前年の享保17年には享保の大飢饉という教科書載るレベルの飢饉が起きていて、その翌年の川開きに慰霊と疫病退散を祈願して水神祭を催し、そこで花火を上げたのがルーツということのようです( ˘ω˘ )
ちなみにこの日本最初の花火大会を始めたのは時の将軍である徳川吉宗ということなんですが、吉宗と言えば暴れん坊将軍でもありつつの質素倹約家で米将軍の通り名があるくらい米の流通に気を配った名将で、その人が享保という暗黒時代に民衆を元気づけるために開催したというのですから泣かせますよね……飛鳥山公園を整備して花見会場にしたのも吉宗だし……そりゃあ時代劇にもパチンコにもなりますよ(´;ω;`)民に寄り添った将軍
十代目金原亭馬生 「たがや」この高座でも言われている旧暦の5月28日の川開きというのは今で言うところの7月中旬頃。現代の隅田川花火が7月下旬頃の開催なので、実はそんなに開催時期そのものは変わってないってことなんですよねー( ˘ω˘ )旧暦から新暦へ
ちなみに打ち上げ花火と言えば定番とも言える「たまや~」「かぎや~」という掛け声は当時の花火師の屋号で、鍵屋とその暖簾分けで生まれた玉屋とはともにライバル同士として両国橋を挟んで競い合うように花火を上げていたそうですが、やがて玉屋は火事を出してしまいお家は一代限りで消滅……実力もあってまさにこれからという新進気鋭の花火師で、さらに判官贔屓の江戸気質から当時民衆からは鍵屋よりも人気の高かった玉屋だけに、せめてその名を掛け声にだけでも残そうと、民間伝承として今に伝わっているのかもしれませんね♨
橋の上
玉屋玉屋の
声ばかり
なぜに鍵屋と
いわぬ情なし
こんな狂歌が今に残るのも、たった35年という短い間でも花火のように華と咲きそして散った玉屋への愛情が込められている故ですね♨