一見地味なB級映画のようでいて実はけっこう深イイ純愛奇跡モノ、プリズンヴァンパイア( ;∀;)
久々に見返したんですが、やっぱ何度見てもええ話なんですよコレ……(´;ω;`)
初公開が2006年というもうけっこう古い作品ですし、世間では単なるB級映画と評され打ち捨てられがちなようですけれど( 一一)
自分はたまたまこの映画を見る前に平野耕太の「ヘルシング」を読んでいたお陰で、ちょっとしたヴァンパイアに関する予備知識があったからこそ、ちゃんとこの映画の真意を汲むことができたのかもしれないと思うのであります( *´艸`)感謝ですね
そもそも内容を理解するのに予備知識が必要って段階ですでにB級なカホリが漂うのかもしれませんがね……(;´∀`)とほほ
ここからややネタバレになりますが、要するに本作のエンディングで晴れて2人がヴァンパイアカップルとなれたのは、ヒロインの心のさじ加減とかそういう曖昧なものでもなんでもなく、単純に主人公ハリーが「ヴァンパイアになれる条件」を満たしていたからなんだと思うんです( ˘ω˘ )
噛まれた者がヴァンパイア化するその条件というのが、ヘルシングの作中でも語られる「処女童貞である」ということ。まあヘルシングではそうでない場合はゾンビ化するという設定だった気がしますが、本作ではみなさん普通にお亡くなりになりますね( ゚ー゚)
つまり主人公ハリーがどんなにバカにされようがどんなに誘惑されようが、ひたすら実直で冴えない男であり続けたからこそ、数々のハードルを乗り越え奇跡的にヴァンパイアになれたという結末を描いているわけです( ˘ω˘ )
そういう見方をするとこれがけっこうグッとくるんですよね~( *´艸`)
何しろ出逢いなどとっくに諦めていたヒロインと、最後まで身も心も人生までもヒロインに捧げきった純真な主人公の純愛奇跡モノなわけですから;つД`)
とくればこれはまさに落語の名作「幾代餅」のような話ということにも……見方によってはなるのではないですか( ゚ー゚)すいません言い過ぎました
ストーリーの流れ的に結末を先読みされがちではあるものの、やっぱりそういう見方をしていくだけで作中のセリフにも重みが出てくるというものですよね( ;∀;)
途中、車いすの情報屋が過去に戦地ベトナムで出会ったという男女2人のヴァンパイアの話をしますが、あれも実は巧妙な伏線なんですよねー……ごく稀に現れるヴァンパイアのカップルはいかなる兵器も通用しない最強の存在であるという(´;ω;`)
最後は男心を弄んだお隣さんにもきっちり復讐を果たし、そうして2人は風のように姿を消してしまいましたとさ、というエンディングもまた余韻があって素敵です( *´艸`)
どこか「殺戮の天使」をも彷彿とさせるような絶望的なイケメンさを感じますね( ゚ー゚)こっちのがぜんぜん古いですが
しかし何度見ても最初の冴えないハリーと最後のバチクソにキメたハリーのギャップがとても同一人物とは思えないですよ。この作品でしか知りませんけど、ショーン・パトリック・フラナリーって名優なんですね~( *´艸`)
敢えて不満を言うなら、不死者というならまだしも人並みに命乞いとかするから、実はそこまで絶望もしてないんじゃないの?みたいに見えてしまうところがかなーっていう( ˘ω˘ )