我らがミスタープロ野球は永久に不滅です。
長嶋茂雄終身名誉監督が死去令和7年6月3日、長嶋茂雄終身名誉監督が永眠されました。ミスター巨人軍の枠を超えミスタープロ野球とまで言われたまさに球界の生ける伝説となり、選手時代から巨人軍の監督を経、延いては日本の球界発展のためにご尽力された永遠の背番号3。自分は第二次長嶋監督時代からリアルタイムで拝見した世代ではありますが、とにかくプロ野球を語る上でこれほど光り輝く存在は他にいないというのは子供心にもひしひしと感じたものでした。
東京タワーが長嶋茂雄さんに感謝と哀悼の意を込め消灯 昭和33年「デビュー」の同期、背番号3、333m昭和を象徴する東京タワーの完成とミスターの球界入りが同期で昭和33年……その不滅の背番号3とそして高さ333mのタワーと……さらに昭和100年の節目にあってその命日まで3日とは……まさに伝説を超越した神話の域ですねこれは。
単なる訃報でなくまさに死して神となった存在、それが昭和の星、長嶋茂雄というその人だったのかもしれません。心よりご冥福をお祈りするとともに、世界へと発展してゆくであろうこれからの日本プロ野球界をどうか天よりお見守りください。我らがミスタープロ野球は永久に不滅です。
先に申し上げました通り、不肖わたくしめは第二次長嶋監督時代からしかリアルタイムでは存じ上げておりませんが、地元佐倉高校のご出身であることから千葉県スポーツ振興基金などのプロモーションにもたびたび登場されておりました。
ちょうど本当に第二次長嶋監督時代の頃のプロモーションテレカになりますが、この頃はメイクドラマにメイクミラクルというまさに神懸かったストーリーを本当に目の前で実現されていったのを今でもよく覚えております。
そんな傍らでこうして地元の野球人育成にも尽力して戴いていたという、まさにミスタープロ野球たる足跡が残るそんなテレカたちになっております。
この頃の長嶋監督というと「セコムしてますか?」などの名言も新たに生み出されていましたっけね。偉大なのにいつでも庶民に寄り添うヒーロー像と言いますか、何とも愛嬌のある人柄でファンだけでなくみんなが惹き付けられるというのも子供心にわかる気がしましたね。
そしてこちらは2000年ミレニアムのペナントレース優勝シーンの一枚。この年の日本シリーズの勝敗予想を送って見事ぴたり賞にて当選したという思い出の一枚ですね。確か4勝2敗と予想した気がします。
この時代はまだクライマックスシリーズもなく、パリーグ勝者の当時福岡ダイエーホークスとの短期決戦で、何と相手の監督が王さんだったという伝説のON対決の年ですね。
[本編プレビュー] がんばれ!!タブチくん!! 第2弾 激闘ペナントレース(1980年公開) TMSアニメ60周年そしてまだ野球のルールも知らなかった幼少期から馴染み深かったのが何と言ってもがんばれタブチくんでして……この冒頭の長嶋監督には本当に腹がよじれるほど笑かせてもらいました当時。まさかこのときのミスターの声優が伊武雅刀氏だったとは後で知って驚きでしたが。
振り返ればそんな思い出の詰まったミスターという人でした……今年の正月、ふと長嶋茂雄記念球場という場所があると知って寒空の下ふらりと訪れたのも何かのご縁だったのかもしれません。たくさんの思い出を本当にありがとうございました。
写真ACでダウンロード2000.9.24 東京ドーム 読売ジャイアンツペナントレース優勝 テレカ - 日本電信電話
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