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雪月花 第七十五夜 思惑

それは―― 嫉妬だったのかもしれない。


朝。


女将を探す。

だが、いない。 どこにも。

……避けられている。


玄関前の雪を除ける。

ふと、思い出す。

小さな記憶の、片隅。

旅人の
袖にほころぶ
春の気を
いつかは――
遠くたづねむ

あれは、ゆき姉が突然いなくなった日の、少し前。

境内を掃いていたとき、風に舞ってきた紙切れ。

囲炉裏にくべかけたのか、一部が焦げて読めなかった。

でも。

あれはきっと――


ふと、裏庭の気配に気づく。

慰霊碑の前に、女将の姿。


意を決して、声をかける。


「女将さん」


振り向く。


「……」


間。


「……俺」


拳に、力が入る。


「帰ります」


風が、通る。


「ここにいるのは、やっぱり」 「ダメみたいですから」


沈黙。


「……そう、ですか」


女将は、それだけ言って目を伏せる。


「最後なので、改めて言いますけど」


言葉が、止まらない。


「あのはる坊ってやつ」 「やっぱりキショいですよ」


間。


「この前は、土壇場でつい……あんなこと言っちゃいましたけど」 「結局俺は、あんな風に女将さんのために」 「命張って死ぬなんて、とても真似できない」


「あいつみたいに期待されても」 「……困るんです」


自分でも、何を言っているのかわからない。


ただ、この人の前だと――

言葉が、溢れる。


……鬼のせいだ。


「……期待なんて」


女将が、口を開く。


「私には、もう」 「赦されません」


「ただ――」


「皆の苦しみを、少しでも取り除いて」 「そして……いつかまた……」


「この故郷に」 「笑顔が……戻るといいなって……」


「そんなふうに……」 「思いたい」


「……でも」


「思っていいのか、わからない」


「私……」


「どうしたらいいのか……」


――初めて。

女将の想いを、直接。


心臓が、脈打つ。


何だ、これ。


くそ。


これも、鬼の――


こんな……

こんなの……


思惑通りかよ。


こんなことに踊らされて。


それこそ、キショいだけだろ……


……でも。


それでも。


やっぱり俺は、この人を――

置いてはいけない。


九尾に、わけを話す。


「ほう」


「お前――」


「このわらわに、逆らう気か?」


目が、怖い。


「……逆らう?」 「……え?」


「あの……」


横から、兎が割って入る。


「ここにお客さんが来るようになったのって」 「この人が来てからなんです」


「もしかして、この人が……」 「皆を、連れて来てるんじゃないかって」


「ずっと、思ってて……」


沈黙。


「……目覚めの力、か」


九尾が、低く呟く。


「なるほど」 「神木だけでは足りぬ、ということか」


兎が、わずかに息をつく。


「……土地の守護としては」 「浄化には、賛同するのじゃが」


一拍。


「……まあよい」


「特別じゃ」


「わらわが直々に、力を貸そう」


「鬼ほどとはいかぬが――」 「何とかしてやろうぞ」


そして、こちらを見る。


「――そういうわけじゃ」


「お前は、帰れ」


……沈黙。


「まだ、わからぬか」


「鬼が目覚めたまま春を迎えれば」


「それは解放ではない」


「――崩壊じゃ」


その言葉が、空気を締める。


かろうじて、言葉を探す。


「でも……その、鬼は……」 「眠らせられるって……」


「目覚めの種を断てば、の話じゃ」


「記憶が残るうちは、無駄」


「何度でも――目覚める」


「すいませーん……」


玄関の方から、男の声。


――第七十五夜・了

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