車輪の再発明に希望を
人が死んでもいちいち感傷すら生まれない、そんな「殺伐」を絵に描いたような消費社会。 ハイ次、ハイ次!どんな素晴らしい才能も人生もいちいち喜んだり悲しんだりしてる暇なんてない。 そんなスピーディーな消費しかない世界を生きる当事者たち、それを根っこまで理解しきらなきゃ回らない世の中に向けて、一体何を訴えるものなどあるものか。 子犬も消費、子猫も消費、カワイイも愛らしいもカッコイイもオイシイもみな消費。 だから何?フツーだしいちいちめんどくせぇし。 大物なんて生まれるわけないよねそんな価値観の世の中じゃ。 こういうのを「地獄」って言うんじゃないんですか?生きることに光を見出せない、感情が生まれるとすれば憎悪と軽蔑がすべてに先立つような世界。 細分化され続け決して共感を得ない人生たち。 自分は自分、他人は他人。どんな素敵な言葉も言葉尻一つの違いで冷める。 すべては「情報」が作り出す夢。まるで個人個人によって文化文明そのものが異なる世界。全員異国人。 そんなもの億劫すぎていちいち知りたいとすら思わない。
情報の選別という意識の中に失われゆく人間らしさ。 人生のすべてがつまみ食い。フルコースなんていちいち必要ない。 金のためでしょどうせ?それ何商法?そうやって明日はまた違うこと考えなきゃ飽きられ忘れられる。
そんなことよりそんなことより。
利便性の中に置き去りにされる人間味。 そういう方向にこれからも向かうのだから、もう無理なんじゃないかと思ってしまう。 「素直さ」なんて通用するはずがないよねもう。
っていうのが今日の私の感想です(´・ω・`)
はいはい、どうせ明日にはもう違ってますよー……って言いたいところなんですが、最近どうもずっとこんな感じ。ちょっと末期っすかね?;つД`)
でも大丈夫、きっと明日には忘れてる。また新鮮味をもって車輪の再発明をいたしますよあたしゃ。いやーまったくもって世法も仕舞いじゃね( *´艸`)
以上、世の中についていけなくなった一人の老人のぼやきでしたー!ちゃんちゃん( ゚ー゚)