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雪月花 第二十三夜 村遊び

その日、また爺ちゃんに誘われた。

「そろそろ、また湯に行くか」

はる坊は一瞬だけ迷ってから、うなずいた。 もう熱がぶり返す感じはないし、身体もちゃんと動く。 何より、そう言われたとき、胸の奥が少しだけ弾んだ。

「雪音も来るか」 「うん」

ゆき姉はそう言って、いつものように静かに立ち上がった。 前みたいに付き添う、という感じではなくて、並んで歩く、という距離だった。

湯は、もう怖くなかった。 熱さは熱さとして、ちゃんと分かる。 肩まで沈めると、身体の芯がじわっと緩むのも分かる。

「ずいぶんと、長く入れるようになったもんだ」

爺ちゃんが言う。

「うん」

はる坊は湯の縁に肘をかけて、少しだけ胸を張った。 もう、すぐにのぼせることもない。

気づくと、爺ちゃんが先に立ち上がっていた。

「じゃあ、先に上がるぞ」

はる坊も慌てて湯から上がる。

――でも。

身体を拭いて服を着て、外に出てしばらく待っても、ゆき姉は出てこなかった。

「……まだ入ってるの?」 「さあなぁ」

爺ちゃんはそう言いながらも、湯屋のほうをちらりと見る。

少しして、ようやく湯暖簾の向こうから、ゆき姉が、いつもと変わらない足取りで出てくる。

「すごいな」

はる坊は素直に言った。

「全然、のぼせてない」 「そう……かな?」

ゆき姉は、少し照れたように微笑み、視線を一瞬だけ逸らした。

顔も赤くない。 息も乱れていない。 湯に入る前と、何も変わらないみたいだった。

爺ちゃんは何も言わなかった。 ただ一度だけ、ゆき姉の足元を見て、それから、はる坊の頭を軽く撫でた。

「さて」

神社に戻ると、境内に子供たちが集まっていた。 石段のところで、何やら鬼ごっこをしている。

「はる坊!」

一人が気づいて、手を振る。

はる坊は一瞬、爺ちゃんを見る。

「行っておいで」

それだけだった。

ゆき姉も、同じ言葉をもらったように、はる坊の隣に並んだ。

「行こ」

そう言って、二人で駆け出す。

最初は神社の周りだった。 石垣の裏、木の根っこ、注連縄の影。 いつもの遊び場。

湯に行って、神社に戻って、それから遊ぶ。 そんな日々が、いつの間にか当たり前になっていた。

でも、ある日―― 誰かが言い出した。

「向こうまで行ってみよう」

村はずれの、小さな沢のほう。

爺ちゃんの姿は、もう見えなかった。 でも、戻ろうと思えばすぐ戻れる距離だった。

沢は、昨日の雨で少し水かさが増していた。 石の上を渡れば問題ない――はずだった。

足を滑らせたのは、一番小さい子だった。

「あっ」

声が出るより早く、身体が傾いた。

その瞬間、ゆき姉が動いた。

腕を伸ばして、引き寄せて、代わりに自分が沢の縁にぶつかる。

鈍い音がした。

はる坊は、はっきり見た。 岩に打ちつけたはずの、ゆき姉の腕。

「ゆき姉!」

子供たちが固まる。

でも、ゆき姉はすぐに立ち上がった。

「大丈夫」

そう言って、服の土を払う。

血は、出ていなかった。 服も、破れていなかった。

助けられた子が、泣き出して、それにつられて大人たちが駆け寄ってきた。

「ありがとう、ありがとう」 「怪我は?」

口々に言われる中で、神主の爺ちゃんだけが、一言だけ投げた。

「大丈夫か?」 「うん……」

ゆき姉は、ただそう答えた。

それで終わった。

誰も、それ以上は言わなかった。 はる坊だけが、さっき見た光景を、胸の奥にしまったまま、家路についた。

湯あがりの身体は、もう冷えていた。


――第二十三夜・了

2026年2月
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