コワい話

ホラーというか怪談というかちょっとしたコワい話を( *´艸`)

アイアンマーダラーズ

あの子は……いや、アレは人間じゃない。

シャツを大量の血に染めて興奮気味に息を切らす男。 赤子を抱きかかえながら、その様子を不安そうに見つめる女。

大丈夫、この子に必要なものはすべて揃ってる。 普通に暮らすんだ。俺たちは普通の家族として。

もう心配ない。

そのブロンドの美しい少女はとても賢く、また素直だった。 少しわがままに育ったのか時々癇癪を起こす性格だったが、それくらいは世間的にもよくあること。 両親からはとても将来を有望視され、そして何より愛されていた。

今年もいよいよ夏休み。今回は水晶湖という観光地にやってきました。 パパやママ、それに親せきのみんなも集まってバーベキューをお腹いっぱい食べようと、ずっと前からとっても楽しみにしていたよ。

実はユーチューバーとしても私、けっこう有名なんだ。 ほらほらこのお肉、今日のためのとっておきなんだって!美味しそうでしょ?

またパパったら、バーベキューはグリルとは違うなんて語り出して。その話はもう聞き飽きました! 親戚のおじさんたちはお酒飲んでるから笑ってくれてるけど、私とママはちょっと不機嫌。

もう酔っ払いたちは放っておいて、私ちょっと森の奥まで散歩してみます!キノコの見分け方を教えてあげる! ママに心配かけたくないから、あんまり遠くには行けないけどね。

あれ、何だろう?あそこに誰かいるみたい。 でもなんだかもやもやして見えづらいな。 あ、消えちゃった。おかしいな、幽霊だったのかな?

……よし、編集終わり!今日の動画をアップするよー! ねえママ、今日ね、森の奥で幽霊を見たんだよ?

翌日、ママとパパを連れて昨日幽霊を見た場所まで来てみたんだけど……なんか変なの。 お墓みたいなのがぽつんとあるだけ。

ねえアナタ、どうしてあの子のお墓が……ここにあるの?

なんだかママの様子がおかしいみたい。声が震えてる。

誰かの悪いイタズラ……にしては手が込みすぎてるな。

パパも恐い顔。一体これが何だって言うの?

まさかとは思うが、一応念のため確認しよう。

いきなりお墓を掘り始めるパパ。恐いよママ……

大丈夫、やっぱりこっちもただの箱だ。何も入っちゃいない。

その日を境にパパもママもなんだか様子がおかしいの。 声をかけても上の空だし、目を合わせてもくれない。ママもなんだか怒りっぽい。 どうしちゃったの?

それに私、毎晩おかしな夢を見るの。 あれは私なの?すごく私にそっくりな子が、黒い影に襲われて…… 私、血だらけになったその子とずっと目が合っているの。目が覚めるまでずっと。

恐いの。恐くてもう眠れないの。 でもママもパパも私の話なんか聞いてくれない。 パパはお酒に酔った勢い任せにいつも、俺たちは普通の家族なんだからいいんだ、気にするなって怒鳴って……ママとも喧嘩ばかりして…… どうして?どうしてみんなこんなに苦しんでるの……?

オワリニシテアゲタホウガイイノ?

そうだ、まずは私がパパもママも苦しみから解放してあげればいいんだよね。 この前見ちゃったんだから、パパが倉庫にステキなオモチャ隠してるの。 あ、このお面もカワイイな!

パパもママも、もう苦しまなくていいよ。

ほら、これでやっと静かに眠れるよね!良かった! でもパパは私と一緒にこれからもデートだよ? こうして髪に留めてあげて、と……あは、カワイイ! これで私たち、もう自由なんだよね?

これは躾だよ。わかってるね? はい……パパ……

この薄暗い地下室に繋がれてから一体どれくらい経つのか。 もう痛みもない。

ただ自分の目を自分で見てるのが不思議だった。 この左目は悪魔の目だよ。悪いものばかり見えるから、今日からパパが預かっておく。

頭蓋骨を深々と貫いたままになっている包丁からは、まだ赤いものが滴っている。 喉が渇いた……ママに会いたいな……

アナタ、どうなのこの子の左目は?

ああ、大丈夫。これで問題なく見えるようになるはずだ。 輸血後の拒絶反応もどうにか治まっている。

よかった……じゃああとは……

ああ、アレの始末だけだ。

地下室にエンジンの轟音が響く。 もう自分の悲鳴も聞こえない。

ママ、ごめんなさい……ごめんなさい…… 私さえ生まれてこなければ。

まわりの子と違うのは、わかっていた。

その泣き声はただか細く、か細く消えていった。

暗雲を切り裂く閃耀。 「地下室」を貫かんばかりの一筋の落雷とともに、運命の歯車が回り出す。

ここはどこ。 暗闇の中で目が覚めた。

冷たい水たまりから、重い体をゆっくり持ち上げる。 力が入らない。

手探りで近くの壁につかまると、スイッチを押したのか部屋に薄っすらと明かりが付いた。 ぼやけた視界の中で最後の記憶が蘇る。

パパ……ママ……私、まだ……

じゃらじゃらと切れた鎖を引きずりながら、光を求めて地上へ。

雨がそぼ降るその景色は、静かな田舎の一軒家。

懐かしいな。 パパもママも、元気にしてるかな。

その瞬間、再びあの悪夢が閃光のように襲ってくる。 頭が割れそうに痛い。

どす黒いものを吐き散らしながら、溢れる感情に涙が止まらない。 そうだった、パパもママも私が……

部屋の中は凄惨だった。 見たくなかったけど見ずにはおれなかった。

体中が悲しくてその血だまりの中に崩れ落ちる。 どうして……

地下室には、パパの形見があった。 私に会うときにいつも付けてたお面。それに……

そう。今度は私が、私を殺す番。

二つの仮面は、呪われたあの地へ集う。 かつての血塗られた惨殺事件は人々の記憶からとうに失われ、今ではもはや平凡な観光地となったはずだった。 しかし……

そう、このお墓。 私の幸せが奪われた場所。

自由はとても素晴らしいけど、どうしてもこいつのせいで眠れない。 もういい加減、消えちゃいなよ。

エンジンの轟音が共鳴し、重い黒鉄の音が交差する。

どうして……どうして、パパとママを殺したの?

はあ?あんたが私の幸せを壊したからじゃない! あんたこそ、いい加減私を恨めしそうに見るのはやめてよ!

お互い死ぬことのない体から、永遠の血しぶきが上がり続ける。

その左目で……私の左目で、パパとママの最期を見たのね?

あんたの左目!?

そう、あなたは私。私自身。 その体に流れる血も、私の血。 あなたは私の代わりに創られた、パパとママの理想のクローン。

私がニセモノだって言うの!? あんたなんかに……あんたなんかのどこにそんなことを言う権利が……

でもそれが真実。

ふざけるなあぁぁー! 私は私だ! オマエナンカジャナイ!

傀儡と指差された悲しみが、叫びとなって赤き夜を染める。

それからどれほどの時が経っただろうか。

もはやどんなに抉っても、どんなに切り刻んでも、消えることのない悪夢。 血の雨が無限に降ろうとも、どこまでも続くコロシアイ。 幾度となく引きちぎれては再生する体。

憎しみでは終わらない。

でも一つだけ、たった一つだけこの絶望の連鎖を止める方法、お互いの想いを遂げる方法があることを、二人は知っていた。

私たちはただ、ただ普通の家族として幸せに暮らしたいだけだった。 そう願えば願うほどに、運命の歯車が狂いゆく皮肉。

死ぬほどの痛みが果てなく繰り返されようと、声を上げてかき消してしまえば耐えられる。 なのにお互いの肌を、肉を傷つけ合うたびにこみ上げるその悲しみには、もうとても耐えることができなかった。

息を削る二人はやがて動きを止め、静かに向かい合う。 その手から黒鉄の凶器を落とし、目を合わせたままゆっくりと歩み寄る。

私たち、どこでどう間違えたんだろうね。

お互いに右手で相手の胸にそっと手を当てる。 そしてその手で一息に体を突き破り、お互いの心臓を握り合った。

それはまるで、時が止まったようだった。

……感じる? ……うん、お姉ちゃん。

温かい。

優しく閉じた目から涙がこぼれる。

パパ、ママ、ごめんなさい。 一緒に帰ろう。

懐かしいわが家へ。

惨劇の終止符。 それは親の血を浴びた体でお互いの心臓を握りつぶすこと。

ねえ、お姉ちゃん!みんなで食べるごはんはやっぱり美味しいね! ふふ、そうね!パパ、ママ、いつもありがとう!

二人で一つの名が刻まれた墓石の周りには、今も一面に花々が咲き乱れるという。

黒鉄の幽鬼

ママ、ごめんなさい……ごめんなさい……

その泣き声はただか細く、か細く消えていった。

まわりの子と違うのは、わかっていた。

私さえ生まれてこなければ。

一筋の落雷とともに、運命の歯車が回り出す。

ここはどこ。

暗く閉ざされた地の底から、ただ光を求める。

あれは私。

パパもママも、殺したのは私。

今度は私が、私を殺す番。

重い黒鉄の音が交差する。

傀儡と指差された悲しみが、叫びとなって赤き夜を染める。

私は私。

オマエナンカジャナイ。


という、2人のジェイソン物語( ;∀;)

二次創作だからあんまり膨らませないかもですけど(´・ω・`)

疫病

私は某国で活動する新聞記者だ。

今、我が国では世界を巻き込んだ一大イベントが開催されようとしている。 成功すればその国益は計り知れず、逆に失敗すればその損害も計り知れない。

そんなタイミングを推し量るかのように世界は今、空前の恐怖に晒されている。

新種の疫病である。

しかし私はこの疫病の存在について、いささか違和感を覚えている。 理由は主に以下の三つである。

一つ目は、疫病の発生源。 二つ目は、疫病に対する世界の動き。 そして三つ目は、疫病の特性。

まず発生源についてだが、これは世界地図で見ればもはや我が国の隣国とさえ思えるほど近しい国である。 よって世界的な警戒レベルとしては、我が国は最も危険視すべき地域の一つとして認識されることになる。

世界機関も警鐘を鳴らし、世界各国も断固たる措置を講じるという状況のさ中では、もはやイベントどころではない。 つまりこの疫病によって最も経済的ダメージを受けることになるのは、他でもない我が国なのである。

そして世界の動きについてだが、先にも述べたようにかなりのパニックぶりとなっている。 この情報の時代でありながら、我が国においても様々なデマが横行。国内だけで無用の被害を次々に併発する始末である。 報道機関はこの状況を「〇〇ショック以来の~」というように喩えるが、まさにそれほどまでに異様な空気なのだ。

恐怖は人の本性を曝け出させるというが、まさに恐怖が人の結束力そのものに亀裂を生じさせるような、いわゆる集団ヒステリーとも取れる事態に近いのではないだろうか。

そして最後に、ここが最も重要なのだが、今回の疫病の特性についてである。

実はこの疫病、過去に流行したものとの序列で言えば、今のところ重篤化率や致死率についてはそれほど上位ではないという。 しかし潜伏期間が長くまた潜伏期間中に伝染するため経路の特定が難しいという特性があるのだそうだ。 もちろん新種であるということが一番であるが、それを差し引いても今回のこれはつまり人の恐怖心を煽る部分のパラメータだけが異様に高い、言うなれば「恐怖特化型」の病原体というような印象を受けないだろうか。

それにかこつけるかのように、世界機関の異常なまでの発生国への擁護、そしてあまりに二転三転する疫病の情報である。

さらにこの病原体はその特異性から見ても、そもそも自然界には存在しない、人工的に作られたものではないかという不穏な情報まであるのだ。 確かに発生源とされているのは、とある研究施設なのだという。

何か匂ってこないだろうか。 そう、ここで登場するキーワードが「バイオテロ」ということだ。

「バイオテロ」というとそれはまるで高い殺傷力があったり、触れるだけで障がいを生むような恐ろしいものを想像するかもしれない。 しかしサイバーテロのような行為が世界的に影響力を持つこの時代においては、恐怖で人々の信用を失わせるような「工作」でも十分に効果が期待できないだろうか。 むしろ強力な殺傷力などが検知されてしまえば、それは明確なテロ行為、戦争行為として世界から「悪」のレッテルを貼られてしまうことにもなりかねない。 それでは本末転倒なのだろう。

共通の敵は団結力を生む。 それを避けるためにも、得体の知れない薄ら寒い恐怖をタイミングよく植え付けることによって、重要な決断を封じ間接的にダメージを与えるよう仕組むことが肝要なのだ。

ここで思い出してみてほしい。数年前にも似たような疫病が流行ったことを。 そのときの感染力や重篤化率、致死率といった脅威は、今回のものと比較にならないほど遥かに高いものだったはずだ。 それと比べてもなお、今回の世界的パニックが異様に大袈裟に引き起こされている印象を受けるのである。 先にも述べたように、報道機関が今回の状況を喩えるにあたり、わざわざ先の疫病ではなくそれよりもさらに昔の「〇〇ショック」を用いていることからも裏付けられるだろう。

そもそも彼の国は疫病の情報を露呈させるタイミングを調整した節すらある。何しろ人命を奪ってまでその口封じを強行したのだ。 そして一時的にでも世界機関と癒着することで、自然と世界中の警戒心を煽るための発言力を拡大しようとする戦略もまた垣間見えてくる。 直前に控える世界的イベントを決行するか否か、その決断のタイミングに合わせて「運悪く」世界を恐怖のどん底に陥れようとする、まさにそんな絵図が見て取れるのだ。

もちろん開催直前のドタキャンということになれば、言うまでもなくその損害は最大化する。 この疫病にかかわる一連の騒動は、つまりはそれを狙って仕組まれた壮大なシナリオなのではないかと推察せざるを得ないのである。

悲しいことに我が国と彼の国とは現在の情勢的に、決定的に相容れない部分がある。 世界の勢力図的には、お互いに脅威の存在と位置づけざるを得ない側面を持つのが現実なのだ。

今回の一件による彼の国への直接的な国益はないのかもしれない。 しかし我が国の損害そのものがその勢力図を塗り替えるための壮大な計画の一部として組み込まれていることは、もはや疑いようもない事実なのであろう。

まさに肉を切らせて骨を断つ。 彼らはまだ脈々と続く戦国時代の渦中にいるのだ。

私の命もあとわずか。 どうか我が国よ、この危機を乗り切ってほしい。


【注意】あくまで架空のお話です(*´Д`)

葛藤

さようなら。

私はカミソリを手首に当てた。

もうこの世に未練なんてないのだから。

いや、そんな風に思うのはもうやめるべきなんだ。

確かに考え方ひとつで幸せになれることもあるのかもしれない。

笑顔でいればきっと大丈夫。

生きていれば良いことだってある。

幸せな明日を信じて歩いていこう。

そんな私にあなたは言うでしょう。

やっぱり死んだ方がマシだよ。

でも私はもう決めたんだ。

奇跡を起こすことだってきっとできる。

コーヒーカップ

古い遊園地にはよくあった乗り物、コーヒーカップ。 最近は遊園地自体がめっきり数を減らしてしまったこともあって、ご存じない方も多いのかもしれない。

丸いトレーの上にコーヒーカップを並べたような形状で、お客さんはそのコーヒーカップに乗り込む。 動き出すとトレーが回転し、さらにその上のコーヒーカップもランダムに回るというアトラクションだ。 乗り物酔いしやすい人などにはあまりお勧めできない代物となっている。

僕は某遊園地に出かけたとき、久々にそのコーヒーカップを見つけた。 けっこう流行っているようで、カップルや親子連れなんかでなかなか賑わっている。

つい懐かしくてしばらくぼーっと眺めちゃったんだけど、そのうち何巡目かに変な親子が乗り込んできた。 変っていうのは僕のセンスが合わないだけなのかもしれないけど、とにかくなんか姿が普通じゃなかったんだよ。

赤と白のストライプ柄のぴっちりしたシャツに、銀色のロングスカートを穿いた母親と、緑の全身タイツみたいなのを着た子供。 二人ともやたら派手な黄色い髪色で、母親の方は頭のてっぺんにお団子でまとめた髪型だったかな。 そして何より異様だったのが、首がやたらと細長いってこと。

それなりに周りにも人がいたのに、意外とそういうのって誰も気に留めないものなんだよね。 でも僕はそれが何故かやたら気になっちゃって。 喩えるなら何と言うか、よくわからん前衛アートから飛び出してきた人みたいな、いわゆる奇妙な不気味さってやつだったな。

それでその親子も普通にコーヒーカップに乗っかって、子供はこう、逆向きに座ってカップの縁に手をかけるような形になって。 そのままブザーが鳴って回り出したんだ。

僕は何となくその親子を目で追ってたんだけど、ずっと見てると何か違和感を感じたんだ。

トレーが回る、カップも回る。 でもよく見ると、それに乗ってるその親子の首までぐるぐる回ってるんだよ。

しかも周りの乗客たちみたいに楽しそうに笑ってるっていうよりは、何かこう無機質にケラケラケラっていう感じの笑い方。 何ていうか、まるで機械なんじゃないかと思うような異質さ。

おいおい誰も気が付かないのかって、そのときは本当に背中がサァーってなるような変な孤独感を味わったよ。 そんなものをまさか僕だけが見たってのも何か薄ら寒いし、人に説明してもどうせ伝わらないんだろうと思ったから、そのとき咄嗟にスマホで動画撮影しておいたんだ。

コーヒーカップが終わると、その親子は普通にスタスタとどこかへ行ってしまった。

僕はそのあと普通に娘を連れて一日遊園地を満喫したわけなんだけど、結局その親子にはそれっきり会うことはなかったんだ。

つまりこれから見せるのはそのときに撮った動画ってわけなんだが。

僕も撮ってから初めて再生するんだけど、あの奇妙さは思い出しただけでも何だか鳥肌が立ってくるよ。

じゃあ再生。

慌てて撮り始めたから最初は手振れがひどいけど……ほらこれだよこれ、って。 えっ!?

見ると回転するコーヒーカップの中で、二つの首がずっとこちらを向いている。

うわ、何だこれ!

僕たちは凍り付いた。 カメラはずっとその親子を追っているので目が合いっぱなしだ。

しかも何かこちらに向かってぼそぼそと言っているようにも見える。 その瞬間、勝手にみるみる音量が上がりものすごい速さのお経のような不気味な声が爆音で鳴り響く。

うわああぁぁ!

何度押しても停止ボタンが効かない。音量も下がらない。 そして何故か画面から目が離せない。

これは、やばいかも。

視界がビビッドカラーになっていく。 やがてバツンッと真っ暗になった。

気が付くと僕は自分のベッドにいた。 夢だったのだろうか、妙に気分が悪い。

今何時だろう。

時計を見ると、昼過ぎ。 あれ?

時計の針がぐるぐると回り出す。 何だこれ。

視界そのものが回り出し、ビビッドカラーに染まっていく。

ただいまー!

出かけていたらしい妻の声でふと我に返る。 何だったんだろう……あの変な夢のフラッシュバックなのか。 いや、あれは本当に夢だったか?

妻が買ってきてくれたコーラでも飲むか。

ふとペットボトルの蓋を見た瞬間、勝手にぐるぐると回り出す。 おいおい何なんだよこれ。

またぎらぎらと色が濃くなり目が回る。おかしい。

僕は思いっきり首を横に振り、何とか正常に戻す。

ちょっと外の空気でも吸おう。

家を出て散歩中、ふと路駐してあった車に目が留まる。 なかなか渋いクラシックカー。

しかしそのタイヤを見た瞬間、またぐるぐる回り出し、あの変な発作が起こる。 自分で頬をぱんぱんぱんと叩き、正気に戻る。

完全に変だ。

僕はあのとき一緒に動画を見てたやつに電話してみる。

しかし彼はそんな動画を見た覚えはないという。 やはり夢だったんだろうか。一応そのときのことを一部始終説明してみる。

するとしばらく沈黙したあと、おまえ遊園地でその変な家族に本当に会ったのか?と急に声色が変わる。 あれはこの世のものじゃない。悪いことは言わんから今すぐお祓いに行ってこいと言う。

その言葉にすがるように僕はその足でお祓いに行った。 住職からは、回るものを見たり意識したりすることをしばらくは避けなさいと言われた。

だから僕の家にはアナログ時計が一切ない。 スクリューキャップの食品は買わないし、車が通ると今でも目を逸らすんだ。

ニエの神

僕は最近、気になっている子がいる。 毎朝の通勤電車で同じ車両に乗ってる子。

ボックス席でたまたま居合わせちゃったりしたら、もう恥ずかしくて顔なんかとても上げられない。 だからそういうときは彼女のカバンにぶら下がってる〇ッキー〇ウスのキラキラした飾りを、終点までひたすら凝視することになったりして。

今日もそんなわけで朝から首が痛い。 なにか彼女と繋がりを持てるきっかけでもないものか。

しかし僕の趣味と言ったらホラー小説を読んだりホラー映画を観たり、最近は仕事のプログラミング知識を活かしてホラーゲームを作ったりと、いずれにしてもあんまり積極的に共有していけそうなものはない。 まあ強いて言えそうなことといったら、そのゲームに使う素材の撮影も兼ねてよく旅行に行くようになったってことくらいかな。

そんなある週末、僕はとある田舎の駅に到着した。 今日は会社の同僚が個人的にやってるYouTube配信用の心霊スポット動画を撮影する約束だ。 ついでに僕のゲームに使えそうな素材も撮れるといいな。

歩いて数分のところにある古い神社が今日の目的地。 さっそく撮影の準備をしていると、ここでとんでもない奇跡が起きる。

向こうの方で楽しそうに喋りながらスマホで神社を撮影している女子3人。 なんとその中に彼女がいたのだ。

思わず唖然としながら見ていると、それに気づいた彼女の方から僕に声をかけてきた。

いつも朝会いますよね?って。

まさかとは思ったが、彼女も怖いもの好きのホラー小説作家だったのだ。

僕らは途端に話が弾んでしまい、その日の帰りにはみんなで一緒に夕食まで付き合ってもらってしまった。 心霊スポットが繋ぐ恋なんてのもあるものなのか。内気な僕と違って明るい彼女を見ていると、そんな出会いがまるで嘘のように思えてくる。

ちなみに彼女の仕事はOL。ホラー小説は趣味で書いていて、よくそれ系の投稿サイトに投稿しているんだとか。

それからは毎朝顔を合わせるたびに距離が縮まっていくのがはっきりわかった。 ただ彼女についていろいろ知っていく中で、彼女が書いている小説については一切教えてくれなかった。 もちろん本名では活動していないため、探したところでどれが彼女の作品なのかすらもわからない。 曰く、それを言っちゃったら怖くなくなっちゃうから、ということらしい。

そのうち僕らは休みの日にもちょくちょく会うようになった。 実はまだはっきりと気持ちを伝えてはいないんだが、もう傍から見れば完全に付き合ってるようにしか見えなかっただろう。

そんな関係が何となく続いていて、出会ってちょうど半年くらい経った頃だろうか、ある朝彼女の様子がいつもと違っていたので何かあったのか聞いてみた。 どうやら彼女にとって唯一の家族である母親の容体が芳しくないらしい。 会社に許可をもらってしばらく看病に専念するつもり、ということだった。

そして彼女がいない朝が続く。 その間も僕らは控えめにLINEで状況を伝え合ったり、たまには声が聞きたくて電話で話すこともあった。

しかし三か月後、とうとう彼女の母親は他界した。 家族葬と言ってもすでに親戚もおらず、結局彼女一人で弔うことになるそうなので、僕で良ければと弔問を願い出た。 遠くS県で行われた葬儀。すべて略式で行われ特に手伝うこともなかったのだが、いてくれるだけで嬉しいと、彼女はずっと泣いていた。

その後しばらくして、いつもの朝の通勤に彼女が戻ってくる。 もう大丈夫と気丈に笑顔を見せてくれるが、僕にはもちろんすぐにわかってしまった。

その週末、さっそく彼女に会った。 こういうことを話すのはまだ早いかとも思ったが、僕はもうすべてを打ち明けることに決めていた。 しかしその話を切り出す前に、彼女の方から意外な話を打ち明けられる。

実家に戻ることに決めた、と。

実家と言ってももうそこには誰もいない。 しかし今度は私が母親の跡を継いで先祖代々の墓守をしなければ、というのだ。

時代はもはやそんなことに縛られる風潮にはないはず。 だがそこが彼女らしい。 僕が魅せられているこの彼女特有のオーラみたいなものは、まさにそういう精神から生まれて来るんだと思う。

結局、名目上付き合ってはいないので別れようという切り出しでこそなかったものの、つまりはそういう話。 僕には今の仕事がある。それに家族も近くに住んでいる。 それらを一切鑑みずに、いっそのこと今ここで想いを告白してS県の実家で一緒に暮らそうだなんて、そこまで飛躍した話ができるほどそのときの僕には自信も覚悟もなかった。

それからの彼女とのLINEでは必ず最後に口癖のように、ごめんねと言われる。 しばらく眠れない日々が続いた。

彼女の引っ越し前日、僕は最後の思い出作りにと、彼女とディ〇ニーに出かけた。 彼女のカバンに付いていた〇ッキー〇ウスの飾りは、幼いころ母親に一度だけ連れて来てもらったときに買ってもらったものなのだそうだ。 帰り際、彼女はありがとうと必死に笑顔を作りながら、涙を浮かべていた。

逆に辛かったかな。 ちょっと後悔しながらも、翌日僕は新幹線で去っていく彼女を見送った。

もうLINEや電話をすることもない。

しかしその後の彼女のいない日常がこんなにも空虚なものになるなんて、まったく想像できなかった。 本当にありえないほど虚しい。 好きだったホラー系の閲覧も、途中だったホラーゲーム作りも、すべて彼女を思い出してしまって一切手に付かなくなっていた。

ただその分、仕事だけは順調だった。馬鹿みたいに打ち込むことでせめて一時だけでも彼女を忘れようとしていたのかもしれない。

それから二年の月日が流れた。 その日もやはり馬鹿みたいに仕事をして、夜中に会社を出た。 終電はとっくにないので徒歩で帰路に就く。 そもそもそんなことを続けていたせいで疲れが溜まっていたことと、それでも彼女を忘れられないストレスで精神的に参っていたこともあったのだろう。 一体どこをどう間違ったのか、気付いたら夜中の道路をぶっ飛ばすタクシーに派手に跳ね飛ばされていた。

それから三日の間、生死の境を彷徨ったらしい。 目を覚ますと病院のベッドの上。そこには両親の姿と、そしてなぜか彼女の姿があった。

まだ朦朧とする意識の中に、まさに天使が舞い降りたかのようだった。 目の前で喜ぶ両親の顔をろくに見ることもなく、その後ろで涙ながらに微笑む彼女からとにかく目が離せずにいた。

翌日、ようやく少し口が利けるようになったが、彼女の姿はもうなかった。 両親には彼女のことを何も話していないので、まさか彼女を直接呼べるはずはないし。 逆に両親から会社の同僚じゃないのかと聞かれてしまったが、何とも説明がしづらく曖昧な返事でお茶を濁してしまった。

退院は意外にも早かった。後遺症はなくリハビリもほとんど不要。奇跡的だった。 僕はすぐ彼女に電話した。そのときはまだ、そもそもあれは都合のいい幻だったんじゃないかとすら疑っていた。

しかし幻なんかではなかった。 何となく胸騒ぎがしたから、なのだと。

こんな恋愛ゲームみたいな神掛かった話があるだろうか。

この瞬間、僕の中で何かが切れた。 もう自分の気持ちに逆らって彼女のことを忘れようとするのは金輪際やめる。

半ば勢い任せに電話口ですべての気持ちを吐き出し、そっちで一緒に棲む方法はこれから考えると息巻いた。 もし新しい彼氏なんかがいても全力でぶっ飛ばしてやる。そんな風にさえ本気で考えていた。

まるでそういう僕の気持ちを汲み取るかのように、彼女は今もずっと一人なのだという。 もともとホラー小説を書くというインドアな趣味だし、新しい職場でもおじさんやおばさんたちとの付き合いはあっても、出会いらしい出会いなんてまったくないのだと。

それからというもの、また彼女との繋がりがある日々に心を躍らせながら、僕は着々と移住計画を進めた。 さすがにS県で新たに今のような仕事を探すのは難しそうなので、とにかく今の会社を辞めずに済むように、上司にリモートワークを説得するための環境づくりやら、非常勤のバックアップをしてもらう後任者選定やら、それはもう業務外の色んな所を駆けずり回った。

そんな数か月に及ぶ努力がようやく実り、いよいよ計画が現実味を帯び始めてきたころ、唐突に彼女から妙な相談が持ちかけられる。 どうも何か様子がおかしいらしい。

最近彼女の周りでは、不審な事故や自殺などの良からぬ出来事が目に見えて多発しているという。 事態が落ち着くまではこちらに来るのは危険かもしれない、と。

元々怖いもの好きの二人だけに、確かにそういう類の事象にはやや敏感なところもある。 特に彼女は霊感も強いらしいので尚更だろう。

しかし今の自分はまさに彼女のおかげで、本気で無敵なんじゃないかと思えてしまうほど精気に満ち溢れている。 もはやそんな不確実なことでこの計画を諦められるほど浅い気持ちではない。

僕はとにかく彼女を安心させたかった。 やっと見え始めた二人の希望を、何があっても消し去りたくなかったんだ。

いよいよ移住も秒読み。うちの両親にもきちんと話して納得してもらった。 そんな折に彼女から、会って話したいことがあるというLINEが入る。

その週末、お互いの中間地点にある駅前のレストランで待ち合わせて、久々に彼女と会った。 しかし彼女にはいつもの笑顔はなく、なぜか悲し気な表情で俯いている。 それどころかよく見ると、化粧でうまく胡麻化しているようだがその顔や手には薄っすらと生々しい無数の傷跡も見える気がした。一体何があったというのか。 だが僕の話や問いかけにも、うん、うん、と終始小さく頷くだけ。食事にもほとんど手を付けない。

店を出てからも、しばらく二人で静かな田舎道を歩く。 何かただならぬことがありそうだが、とにかく話せる気持ちになるまでは時間をかけて待つ。

誰もいない公園のベンチに座って、近くの自販機で飲み物を買ってくる。 すると突然、お母さんが……とだけ言って、息を詰まらせ泣き出した。 それ以上のことを聞いてもただ首を横に振るだけ。ただ、私がいけないんだ、と。

そして衝撃の言葉。 ごめんね。もう一緒にはなれない。

そう言うと彼女はおもむろに首飾りを外し、呆然と動けずにいる僕の首にそっと掛ける。

どうか私の願いを無駄にしないで。

僕の目をじっと見ていたかと思うと、そのまま目を閉じて優しく唇を重ねてくる。 それはまるで無限の時間のように感じられた。

そして僕の目を見ることなく俯くと、彼女は小走りに行ってしまった。

僕はただ頭が真っ白になって立ち尽くしていた。

その日は夜になるまでベンチに座って伏せていることしかできなかった。 気が付くと夜風がかなり冷たい。 このままではまずい。力ない足でフラフラと歩き出すが、しかしもうとても家まで帰る気力などない。 僕はどうにか駅前まで戻り、手近なビジネスホテルのベッドになだれ込んだ。

翌朝、とにかくもう一度彼女に電話をかけてみる。 だが悪い予感がしていたとおり、それ以降はもう何度かけようと、電話もLINEも二度と繋がることはなかった。

しばらくは失意に暮れる。 だが当然のように吹っ切れる。 このままなんて帰れるわけないだろ。

僕は意を決して、その足でS県まで行くことにした。

到着は夕方ごろになってしまった。 以前に葬儀で訪れていたので、もちろん彼女の実家の場所はしっかり覚えている。

しかしその状況を見て足が凍り付いた。 玄関や窓のガラスは割れ、外壁や庭もめちゃくちゃに荒れている。

それだけではない。 何やら妙なお札が貼られていたり、隅には盛り塩もされている。

インターホンを鳴らすが、反応はない。

一体何があったというのか。 思い切って玄関の戸に手をかけてみると、鍵がかかっていなかった。

見ると家の中も同様に酷い有様。しかし物取りの被害と言うには何か少し違和感がある。 気になるのはやはり妙なお札や盛り塩が無数に置かれていることだった。 それに仏壇に位牌がない。つい先日の葬儀では、先祖代々の位牌がたくさん並んでいたのに。

誰かいるのか!?

不意に後ろから男の声がしたので振り返ると、地元民と思われる知らないおじさんが怪訝そうな眼差しを向けていた。 僕はこの家の知り合いを名乗り、何が起きたのかを聞いてみた。

おじさんはしばらく黙って睨んでいたが、ふっとため息をつく。

あんた余所者だな、余所者は知らん方が良いこともある、と目を逸らした。

しかし当然のように僕は食い下がる。

その妙な勢いに根負けしたのか、おじさんはしばしの沈黙の後、今夜泊まるところはあるのかと聞いてくる。 当然そんなことを考えているわけがなかったので素直にその旨を伝えると、今日はもう遅いからとりあえずうちに泊まれと言ってくれた。 何があったのかを教えてやるよ、と。

急な訪問にもかかわらずおじさんの家で奥さんにおにぎりまで振舞ってもらい、僕は急にかしこまってしまう。

そしてその席で、おじさんは最近起きた出来事について静かに語り始めた。

最初に異変に気付いたのは、角のタバコ屋のおばさんだったらしい。 最近この近隣に立て続けに起こる、とても普通とは思えない不幸の連鎖。 その魔の手があるときついに、そのおばさん自身にも襲いかかったのだそうだ。

雨が降る薄暗い夕方、おばさんが店の戸締りをしていると、後ろの押入れから唸り声のような妙な音がしたという。 不審に思って恐る恐る開けてみると、そこには血だらけの白い着物を着た老婆がうずくまっていたそうだ。 思わず腰が抜けて動けずにいると、老婆は不自然な動きでぬらりと立ち上がり、ひたりひたりとおばさんの方へ歩み寄って来る。 目の前まで近づかれたとき、恐怖のあまりふとその顔を見上げると、どうもそれが先日亡くなったあの家の婆さんだったらしいんだ。 その瞬間おばさんが咄嗟に大声でその婆さんの戒名を叫ぶと、その怪物はカナギリ声を上げて煙のように消えていったんだという。

翌日おばさんはその話を長老のところへ持って行き、そこでようやくこの不幸の連鎖の正体が暴かれることとなる。

このあたりには古くから、何でも願いを叶えてくれる呪いの儀式が伝わっているという。 ただし今ではそれを実際に行うものはなく、その方法も何百年も封印され続けてきた。

何しろその儀式は恐ろしいことに、願いが叶った暁には必ず生贄を要求されることになるのだ。 しかもその生贄も誰でも良いとはいかず、儀式を行った者に最も近しい者が選ばれるとされている。

もしその生贄を捧げることを怠るなら、それはやがて必ず祟りとなって現れ、儀式を行った者の周りから渦を巻くように地獄の災厄が広がっていく。 おそらく本来の生贄が見つかるまで手当たり次第に殺していくということなのだろう。

願いが叶うなどと言っても所詮あれはそんなおぞましい代物だから、結局その実、人を呪い殺すために使われる禁忌の儀式とされてきたのだそうだ。

今回のこの災禍の根源は、紛れもなくその儀式。 戒名を唱えることで怨霊が去ったというのが何よりの証拠。 そして祟りを受け怨霊と化した者の正体こそが、儀式を行ったのが誰なのかを如実に示す証拠なのだと。

それを知った犠牲者の家族の怒りたるや。 もちろんそんなことを裁判沙汰にできるはずもなく、中には暴力的な行動に出る者も少なくなかったということだ。

彼女の家にもお札や盛り塩がされていたのは、怨霊と化した自らの母親を封じ込めんとするためだったのだろう。

おじさんは煙草に火を付け、一呼吸置いてから続けた。

一体彼女は儀式のことをどこでどう聞きかじったのか、おそらく最後に生贄を捧げなければならぬというもっとも重要なところを知りもせずに、あれに手を出したのだろう。 何しろ彼女にはすでに身寄りがなかったはずだからな、と。

そこまで聞いて、ふとあることに気付く。 そう、彼女にはもう身寄りがない。確かにそうだが、でもだからとて生贄は生贄。 その場合、彼女に最も近しい者となるのは……

その瞬間、遠くで変な唸り声が聴こえた気がした。 背筋が凍り付き、嫌な汗が流れ出す。 ここに来てはいけなかったのかもしれない。

どうやらおじさんも声を聴いたらしく、真顔で辺りを見回している。 そんなおじさんの背後に佇む奥さんを見て、僕は縮みあがった。

その顔にさっきまでの穏やかさはなく、だらりと開けた口から涎をだらだらと垂らしながら、目は左右反対にぐるぐると回っている。 そしてみるみるうちにその顔が変わっていく。それは確かにあの葬儀のときに写真で見た彼女の母親の顔だった。

ミツケタ。

ニタリと笑うその両手には包丁が握られている。 おじさんもそれに気付き、咄嗟に大声で戒名を唱える。 しかしなぜか怨霊は消えることなく、じりじりと迫り寄ってくる。

これは、いよいよ本当に殺される。

そう思った瞬間、突然ガタンと大きな音がして、強い揺れが襲ってくる。 かなり強い地震のようだ。

その揺れの中で怨霊が突然カナギリ声を上げ、そしてその体から何かが煙のように立ち上り消えていったのを確かに見た。

やがて揺れが収まり様子を確認すると、そこに倒れていたのは元の温厚な奥さんだった。

おじさんは奥さんをソファーに運ぶと静かに一言、時間か、と呟いた。

時計を見ると夜中の十二時。

残念だが彼女はたった今亡くなった、と。

一体何を言っているのかわからなかった。 亡くなったとは、誰が?彼女が?彼女って……

僕は頭が混乱していた。

実はこの災厄を鎮める方法が、生贄を捧げる以外にもう一つあるという。 それは儀式を行った者自らが、その災厄の使者である者の位牌を砕いて呑み、さらに先祖の位牌もすべて燃やした上で、夜中の十二時にある場所で首を吊る、というもの。 その行為は本来の生贄の代償として、ニエの神の祟りを鎮め給うとされているそうだ。

おそらく犠牲者の家族のうちの誰かが、彼女には身寄りがないということでその方法を伝えていたのだろう。 これ以上災いを広げてくれるなということだ。

もう涙なのか何なのかわからない全部が顔中から溢れ出し、息をすることさえできなかった。

そうか、やっぱりあんたは彼女の…… そこまで言いかけて、おじさんは黙り込む。

彼女の亡骸はもうこの世には存在しない。 葬儀をすることも許されない。

すまないことをした、と。

あのとき怨霊に対して戒名の詠唱が効かなかったということは、生贄に選ばれた者がすでにその視界に入っていたことを意味する。 つまり疑いようもなく、僕は彼女に最も近しい存在だったということだ。

願いが叶う前であれば儀式を撤回する方法もあったというが、もう今更そんなことは慰めにもならないしどうでもいい。

それよりも想うべきは、彼女がそうまでして願ってくれたこと。

あのときの交通事故からの命拾いは、あれは奇跡でも何でもなかった。

霊感の強い彼女は僕の命が危ないことを直感的に感じ取っていて、そしてたとえ後で自分がどんなことになろうと、迷うことなく禁断と呼ばれる願掛けを実行したんだ。

あれは、あのとき救われたのは紛れもなく、彼女の愛の証だったのだと悟った。 今でも脳裏に焼き付いている、あのときの天使のような笑顔を僕は忘れない。

その日はとうとう朝まで泣き明かし、最後には世話になったおじさんにも深々と頭を下げ、そして帰路に就いた。

その後すぐに、僕は会社を辞めた。 一年間は旅に出ようと決めていたのだ。

彼女に救ってもらったこの命で歩き、そしてこの形見の首飾りを連れて風を感じたい。 少しでも彼女の供養になればという想いだった。

ごめんね。

どこかで彼女の声がしたような気がした。

その後に就職した会社で僕はまた新しい仲間とともに再スタートを切ることになるのだが、このときの僕はまだ知る由もない。

彼女が死の間際に残していた、最後のネット小説の存在を。


ストリートビューで異世界へ」に続きます。

排水トンネル

俺は仕事で土木をやっていて、最近ある排水トンネルを調査したんだ。 川に水を吐き出してるんだが、吐き出し口から入って300mくらいのところに鉄柵があるんで、そこの状況を収めてこいっていう内容。

川は長靴で歩けるくらいの浅さで、トンネルからの水量もほとんどなく普通に徒歩で入れる。 ライト付きのメットを装備して、デジカメを手に俺は一人狭いトンネルの奥へ。

それにしてもこういう暗闇での300mってのは思ったより長く感じる。圧迫感のせいだろう。

もう少しで現場かなって頃、なんか奥の方から人の声みたいなのが響いてくるのが聞こえた。 反響がひどくてよくわからんのだけど、どうも女性の笑い声のような。

気のせいだとしても気持ち悪いから、さっさと写真撮って帰ろうと足早に進むんだけど、なんだか行けども行けどもなかなか鉄柵が見えてこない。 口頭で確かに300mって言われたし、資料にも絶対にそう書いてあったし、間違いはないはずなんだが。

そのうち、ある異変に気付いた。

暗闇の奥から流れてくる水の色が妙に赤茶けていて、しかも何か浮いている。 よく見るとどろどろとした肉片のような異物。大量の髪の毛のようなものも混ざっている。

背筋がゾッとした。 しかしこれは報告義務があるだろうと思ったから、カメラにもしっかり収めた。 そもそもここは山からの湧き水を逃がすための排水トンネルであって、こんなものが混じることはないはず。

そういえば笑い声もだんだん近づいているような。

そのままさらに奥へ。 するとようやく件の鉄柵が見えてきたが、さっきから息継ぎもせずケタケタと笑い続ける謎の声もそのあたりから聞こえている。 かなりヤバい雰囲気。しかし仕事だからやるしかない。

鉄柵に到着。 異物はそのさらに奥から流れてきている。 笑い声はまさに鉄柵のすぐ向こうから聞こえるんだが、照らしてみても誰もいない。

さすがにこれは何か写っちゃうかもしれないと思いながら、とにかくその現場写真を大量に撮影。 そしてすぐに踵を返す。

ここでまた異変に気付く。 笑い声が全然遠のかない。 歩いても歩いてもずっとすぐ後ろから聞こえる。

さすがに気持ち悪くて振り返ると、かなり歩いたはずなのにまだ目の前に鉄柵があるんだよ。

これは完全にヤバい!でも狭すぎてとても走れない。とにかく出口を目指して急ぎ足。

憑いてくる、明らかに憑いてくる。 作業服はもう汗でびしゃびしゃ。 もう振り返ったらまずいと思っているはずなのに、ついまた振り返ってしまう。すると……

鉄柵から頭だけ出してガクガクと笑う異形の女。いやその柵、頭なんか通らねぇよ!

もう無理。俺は涙目で一目散に出口に向かう。

やがて笑い声が遠のく。 気付いたら足元の水も普通の水に戻っている。

ほっとしていったん呼吸を整える。 ふと振り返ると、また目の前に鉄柵がある。 俺はその場にへたり込んだ。

だがもう不気味な怪現象は何もない。 ただ静かに普通の水がちょろちょろと流れているだけ。

念のためにもう数枚だけそのあたりの写真を収め、俺は現場を後にした。

事務所に戻った俺は、その日の出来事を興奮気味に上司に報告した。 たまたま請け負っただけの仕事だから、そこが「出るらしい」現場だなんてことは誰も知らない。 とにかく俺と一緒に、上司にも現場写真を見てもらう。

しかしそこに入っていたデータは最後に撮った数枚だけ。 そう、怪現象が収まった後に撮った写真しかなかったんだ。

とりあえず仕事は何とかなったけど、過去にあの場所にまつわる事件みたいなものがなかったか調べてみた。

出てきた記事は今からちょうど三年前の出来事。どうやらあの辺りで女子高生が一人行方不明になったそうだ。 しかし捜査の甲斐なくとうとうその一年後、あの排水トンネルの中で白骨遺体となって発見されたらしい。

あのトンネルは今回の調査対象だった吐き出し口から300mのところの鉄柵の他に、その奥にもう一つ鉄柵がある構造。 遺体はその鉄柵と鉄柵の間から見つかったそうだ。

なぜそんなところに閉じ込められたのか。遺書もなく自殺なのか他殺なのかもわからない。 誘拐などの痕跡はなく、また学校もいじめの事実を認めなかったということで、その真相はとうとう分からずじまいだったそうだ。

図らずも瞼の裏に焼き付いてしまったあの異形の笑い顔。そういえばどこか悲しみを訴えているようにも見えた。 あんな狭い暗闇でずっと一人……あれだけの怨霊となるに十分すぎる無念だったことだろう。

俺は静かに黙とうし、その日の仕事終わりにお祓いした。 そして除霊師と上司の許可のもと、翌日またあの排水トンネルの吐き出し口まで出向き、そっと線香と花束を手向けたのだった。

ちなみにそれ以降のそのトンネルの仕事は、他の会社に投げたそうだ。

封鎖トンネル

この前バイクでちょっとした一人旅をしてきたんだが、あれはちょうどS県とY県の県境あたりを走ってるときだったかな。 時間は昼過ぎくらい。山に囲まれた谷間のルートで、舗装もガタついたそこそこ険しい道だった。

もしものときはマップもあるからなんて安心してたんだけど、それでもやっぱり山道ってのは何があるかわからない。 どこかに分かりづらい分岐が隠れていたようで、いつの間にかルートを外れていたらしい。

あれ?っと思ったときにはすでに行き止まり。苔むしたコンクリートブロックでがっつり封鎖された古いトンネルの前にいた。 とりあえず一服しながらスマホでマップを確認。よくよく拡大してみると、なるほどやっぱり途中で道を間違えたみたいだ。 周りは山だから一本道で抜けられるものだと思い込んで、すっかり油断してた。

で、そろそろ行くかとメットをかぶろうとしたときだ。トンネルの方から妙に生暖かい風がふわっと吹いてきたような気がした。 何となく気味悪くてしばらくじーっと見ちゃったけど、そのときはちょうど腹も減ってたし、特に気にも留めないでそのまま元の道に戻ってった。

そんなわけで今日やっと無事に旅から帰ってきたわけなんだけど、今ちょうどそのあたりをもう一回ストリートビューで歩いてみてる。 分岐のところはやっぱりちょっと紛らわしい。よく見ればちゃんと案内標識に「この先行き止まり」って書いてあったみたいだけど、草がぼーぼーで見えづらいな。

で、例のトンネル。なぜかストリートビューでは行き止まりになってないみたい。データが古くてまだ封鎖前の状態ってことか? そういえばこのトンネルはどこに繋がってたんだろうな……一応ちょっと進めてみるか。

とりあえず出口の光も見えるしそんなに長くもないトンネルみたい。真っ暗だけど。

結局トンネル抜けてみたけど、景色見てもやっぱりよくわからん。 入り口のところにトンネルの名前とか書いてないかな?

うわなんだよこれ!

いや、振り返ったら真っ赤な二本の線がトンネルから続いてるんだけど。 これ完全にストリートビュー撮影車のタイヤの跡だよな…… やばいやばい、もういいや!閉じます!

あれからちょっとそのトンネルのことを調べてみたんだが、どうも十年前くらいにあの中で凄惨な殺人事件があったらしい。 それ以来ずっと封鎖されてるってことなんだけど……

念のためもう一回見てみたら、ストリートビューでもブロックが積まれて通れなくなってた。

かくれんぼ

僕はいつも公園でやるかくれんぼで、最強の隠れ場所を知っている。そこに隠れると絶対に見つからないんだ。

じゃんけんぽーん!うぇーいあいつがオニだー!きゃーきゃー! よーし、今日もそこに隠れることにするぜー!

その隠れ場所ってのは、公園の隅にある誰も使わない古い公衆トイレ。 男子がオニのときは女子トイレ、女子がオニのときは男子トイレに隠れるんだ。

前回は男子がオニだったから女子トイレの一番奥の部屋にこっそり隠れて大成功。 今回のオニは女子だから、男子トイレの一番奥の部屋に隠れてれば見つからないってことさ。

さて、隠れてから15分くらい経ったな。もうそろそろ出ても良いかな? 広場に戻ろう。

あれ?誰もいないや。まだみんな隠れてんのかな?おーい! やけに静かだな。おーい、おーい!

いくら探しても誰もいない。そういうのやめろよー!おーい! もういいや、うちに帰っちゃおっと。

あれー変だなぁ、なんか町もやけに静かだな。

ただいまー! え、うそ!?うちにも誰もいない……

おかしいなぁ、どこに行っても誰もいないよ。 なんだか怖いなぁ……どうしよう?

あ、誰かいる!おーい!

え!? ひぃ!なんだあいつ!うわああぁぁぁ!

ただいまー! あら僕、おかえり!今日は何して遊んだの? かくれんぼー!誰も僕をみつけられないんだよー?すごいでしょー?

知ってる?今は建て替えられちゃって綺麗だけど、昔ここにあった公衆トイレって異世界に繋がってたらしいよ。 はじめは男子トイレの一番奥の個室、次に女子トイレの一番奥、男子、女子、と順番に一番奥の個室に入って、そのあと男子トイレに入るとその一番奥に、あるはずのない4番目の個室が現れてるんだって。 そこに入って鍵を締めちゃうと、異世界に飛ばされるっていう話。

実はそこから戻ってくる方法が一つだけあって、それは次に飛ばされてきた人を見つけることなんだって。 そうすれば、その人の人生と入れ替わることができるらしいよ。 でもそれまではずっと一人ぼっち。何年も何年も、死ぬこともできずに変わり果てた姿で彷徨うことになるんだって。

廃病院の4階

やっぱり話すんじゃなかった。 乗り気じゃなかったけど結局押し切られる流れになって、俺も今その廃病院の前に来ている。

話した内容はこうだ。

30年ほど前はこの廃病院もまだ現役でやっていて、実は俺はここに一度だけ入院したことがあった。 当時まだ子供だった俺は一緒に入院してたやつと友達になって、たまに院内を探検したりしてた。

知ってるか?この病院って本当は4階まであるんだぜ?

あるとき自慢気にそんな話をされたんだが、確かにエレベーターも階段も3階までで、子供ながらに不思議だった。 でもその友達がまた面白い奴だったから、ただふざけた妄想話でゲラゲラ盛り上がったりしてた。

それから数日してもうすぐ退院って頃、1階のロビーに缶ジュースでも買いに行ったときだったかな、裏口から救急車でお腹の大きい女の人がバタバタと運ばれてきたのを見たんだ。 そういう現場は初めてだったから、その異様な緊張感に当時はただただ圧倒された。 あとで付き添いで来てた母親から、もうすぐ赤ちゃんが生まれるのよって聞いた。

その日の夜中、俺は3階の病室で横になっていたんだが、天井の向こうから微かに赤ちゃんの泣き声が聞こえたんだよな。 ああ生まれたのかーなんて思ったのを覚えてる。

それから数年後、あの病院は潰れたらしいと聞いた。 俺はそのときふと気になって、その病院のことを調べてみたんだ。何となく変な違和感があるような気がしてたんだよな。 そしてまさかとは思ったけど、悪い予感は的中した。

この病院、もともと産婦人科がないんだよ。

そんなモヤモヤした薄気味悪い事実を知ったところで、そのときは誰に話すタイミングもなかった。 そしてさらに数年が過ぎた今、会社の悪友で心霊スポット探索好きのこいつらを本気でビビらそうと思って、ついにそのとっておきの話をしたってわけさ。 まさか本当に行こうって言い出すとは思わなかったんだけどな。

だいたいこの病院、実際来てみるとわかると思うんだけど、かなり雰囲気あるんだよ。なのにネットで調べても心霊系の記事や動画がまったく出てこない。 このご時世にそういうのって、逆に何か決定的に触れちゃいけないものでもあるのかとさえ思う。

いよいよ建物に突入。もう廃墟になって数十年経つわけだから、当然中は割れたガラスが散乱していたりと、荒れ放題でかなり危ない。 でも探索慣れしてるこいつらの指導のお陰で俺も今日は装備が整ってるから、わりとスムーズに進んでいける。 2階、3階と、記憶にあるままの地図を頼りに階段を上り、まだ医療器具なんかも放置されている生々しい廃墟内の探索を続けていく。

そして当時は職員以外入れなかった3階のナース室。外界の光が届かない暗がりを懐中電灯で照らしながらよく調べてみると、奥に鍵がかかったままの扉を見つけた。 仲間の一人が、こんなこともあろうかと、と言って特殊な工具を取り出す。ドアノブをかちゃかちゃ細工すると、いともあっさりと鍵が開いた。

扉を入った瞬間、急に別世界。資料室のようではあるが、どことなく空気が重く淀んでいるというか、長いこと外界と遮断されていたことをまざまざと感じさせる異様な閉塞感。 ここから先は見てはいけないような気配を全員が感じつつも、その部屋を慎重に照らしていく。 すると奥に、人一人が通れるくらいの細い上り階段があった。

ついに4階に踏み込む。ずっと喉につかえていた違和感に対する答えが見つかるような気がして、このときは一時的に恐怖心の奥底に変な期待感が芽生えていた。

階段を上ると、そこはやはり窓も一切ない真っ暗闇。照らしてみると、どうやらエレベーターホールのようだ。 なるほどエレベーターは4階まで来られる造りだったらしい。普通のボタンが存在しなかったのは、職員用の特別操作が必要ということだったのだろう。 しかしずっと閉ざされていたお陰だろうか、まるで廃墟らしくない綺麗さが保たれているのが逆に不気味だ。

4階の構造はやけにシンプルで、エレベーターホールから伸びる廊下の先に扉が一つあるだけだった。 そういえばここに入る前に改めて建物を見たんだが、やはり外見上も3階までのように見える。おそらく屋上の真ん中に別棟が建つような造りになっているのだろう。 それにしても窓がないというのがやはり異様で、この先にただならぬ秘密があるような気配を感じずにはいられなかった。

そしていよいよ最後の部屋。ここにもやはり鍵がかかってたので、工具の出番。かちゃん、という鈍い音が響く。 扉はやけに重く、ぎぃーっという音を立てて開く。 先頭のやつが中に懐中電灯を向けた瞬間、うわっという声を上げてドン引く。

見ると正面の壁一面に、何かの宗教施設を思わせるような巨大な祭壇。 その上に祀られているのは、手足が異様に長い、腹の大きな異形の女神。 左右の壁には無数の札が貼られ、中央には奇妙な装飾が施された真っ赤な巨大テーブル。 その上には黒っぽい嫌なシミが広がり、そしていくつかの注射器やメスのような医療器具が転がっていた。 だいたいこの部屋全体にこもる何とも言えない異臭は何なんだ?

全員で顔をしかめながら、一歩また一歩と慎重に踏み込んでいく。 明らかにヤバい部屋。かつて何かとてつもないことが行われていた記憶というか、怨念めいたものがそこら中に漂っている気がする。

これまでの不穏な事実を繋ぎ合わせるに、やはりここでは不法な出産行為が行われていたということだろう。 つまり生まれたての赤ん坊に何か宗教的なまじないでもかけるような、特殊な分娩室ということか? いや、それにしてはあまりにも……

ふと祭壇に置かれた木箱が照らし出された。「御神供」と書かれている。 さすがにそういうのは触るべきじゃないと皆口々に言うが、一人が俺に任せろと粋がって勢い任せにその蓋を開けてしまう。

見ると、干からびた短い紐のようなものが大量に詰まっている。 何だこれは……まさかへその緒?

その瞬間、開け放しておいた扉が突然バァンと音を立てて閉まる。 そして部屋がゆらゆらと揺れ出す。

すぐ箱の蓋を元通りに閉めたのだが、揺れは収まらない。 皆一様に凍り付いている。こんな気持ち悪い揺れ方が、ただの地震のわけがない。

やがて揺れが収まる。もうさすがにこれ以上荒らすことはできない。 もはやどこまで調べても謎が解けることがないのは明白だった。

部屋を出ようとドアノブに手をかけたとき、何か嫌な気配を感じて一瞬躊躇する。 しかし皆に急かされ、震えながらドアノブを回す。まさか閉じ込められたなんてことだけは、ないと信じたい。

嫌な汗を感じながらぎぃーとドアを開ける。どうやら閉じ込められてはいないようだ。恐る恐る廊下を照らす。 ふとそれを見た瞬間、またしても固まってしまった。

廊下中に広がる夥しい血痕。しかも今出たばかりかのように妙に生々しくどろどろとしている。 それに壁中に赤い文字で何か呪文のようなものがびっしり。こんなものさっきまでなかったのに。

ここを歩くのは絶対に嫌だ。しかし通らなければ帰れない。 竦む足を気合で進めながら、ぴちゃぴちゃと水気の多い足音にいちいち戦慄を覚えた。帰る前にお祓いに行こうなと、誰かがつぶやいた。

エレベーターホールの闇がやけに深く見えた。懐中電灯の光がいまいち届かない。 そこから微かに、何か聞こえてくるような気がする。皆足を止め、聞き耳を立てる。気のせいではない。

赤ん坊の泣き声…… 泣き声というより、何かもっとか細いうめき声にも似たような。

そしてよく目を凝らすと、エレベーターホールの暗闇に黒い異形の影が見えた。 白いボロ切れを纏い、ガリガリに痩せた細長い手足で虚ろに佇むそれは、腹のところが破れてぽっかりと黒い穴が開いている。そしてその頭は、まるで赤ん坊……

その不気味すぎる風体に、全員声も出ない。背中に強烈な悪寒が走りだらだらと冷たい汗が流れ落ちるのを感じる。 これはもう俺たち全員終わったんじゃないかと本気で思った。

カエセ。

カエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセ……

壊れたCDみたいに無機質に繰り返しながら、突然猛烈にガチャガチャと駆け寄ってくる異形。 うわああああああ!と仰け反りながらも、一人が手に持っていた何かを思わず投げつけた。

異形はひいぃぃという金切り声をあげ、煙のように消える。 何が何だかわからないまま、俺たちは興奮気味に震えながらも早足でエレベーターホールを突っ切り、階段を下りてそのまま廃病院を全力で抜け出した。

無論そのまま帰るなど到底考えられず、確実なお祓いをお願いすべく、こいつらが行きつけというある高名な住職のもとを訪ねることに。

訳を話すと住職はやや厳しい表情になる。そして静かな口調で、あなた方はあの廃病院に行かれたのかと、問いただすように改められてしまった。 とにかく話は後。俺たちは全員裸にされ、全身にお経のようなものを書かれた。まるで「耳なし芳一」だ。 そのまま奥の部屋に通され、伽藍に向かって横一列に座る。そして各人の前には盛り塩と大きな蝋燭を一本ずつ。「破邪の行」が始まったら一切口を利かず、また燃え尽きるまで蝋燭の火から目を離さないようにと指示された。

部屋の明かりが落とされ、俺たちはとにかく目の前に灯された火を見つめる。じりじりとなかなか減らない蝋燭。 何時間くらい経った頃だろう、お香の香りで満たされていたはずの部屋が一変、どこからともなくあの廃病院の祭壇部屋と同じ異臭が漂ってくることに気が付いた。 そしていつしか視界の片隅に、白い煙のようなものがふわふわと現れ始める。どうやら俺の体から出ているようだ。

蝋燭は翌朝になってようやく燃え尽きた。 徹夜で一点を見つめ続けたので首が凝り全身もぐったりだったが、今は異臭も煙もなくどうにか全員揃って完了できたようだ。

服を着て顔を洗い、それから住職から薬膳粥の提供があったのでありがたくいただく。 その席で住職からあの廃病院のことをどうやって知ったのかと尋ねられたので、俺はかつてあそこに入院していたことから順を追って説明した。 住職は黙って聞いていたが、最後に静かになるほどと一言。そして長年悩まされてきた俺を労われ、救いになるかどうかはあなた次第でもあるがと前置きしたうえで、あの廃病院の真実について語り始めた。

かつてあそこで行われていたことは、言葉にするのも憚られるような禍々しい邪教の儀式だという。 しかし裏でその教祖を兼ねていた院長が突然の自殺。それに続くように、儀式に関わっていたと思われる医師や看護師たちも次々に事故や自殺で不審の死を遂げていく。 途端に病院は経営難となり、その後たった数か月で廃業。惨劇の事実はとうとう表沙汰になることもなく幕を閉じた。 廃墟となった病院は取り壊される資金もなく放置されることになるのだが、やがてそこに今の俺たちのような無謀を犯す者たちが現れたのだそうだ。

そしてそのことごとくが、その日のうちに何らかの形で命を落としていったのだという。 あまりに本物の不幸が続けばそれは禁忌となる。あれだけ存在感のある廃墟でありながら、心霊の類の話が世の中に出回らないのはそういうわけだろう。

俺たちはそんな危険な場所に踏み入れただけでなく、その核心にまで迫った。通常ならあの場所から戻ることさえ叶わなかっただろうに、本当に奇跡的に運が良かったんだそうだ。

住職の言葉に俺たちは改めて、恐怖と安堵の入り混じった不思議な感覚を覚えた。

さらに住職が言うには、その奇跡にはある地縛霊の存在が関係しているという。

まだあそこで妙な儀式が行われ始める以前のこと。かつてあの病院で不幸にも亡くなった孤児がいたそうだ。 その子の母親もまた同じ病院で亡くなっていたということもあって、その子の魂は母を求める地縛霊となって病院に残ってしまっていた。 やがて院長が教祖を名乗り病院全体に異様な邪気が満ち始めると、地縛霊はとても苦しみ、そして悲しんだという。

院長の突然の自殺やその界隈の者たちの後追いは、まさにその地縛霊の呪いであるとも言われている。

そして知られざる4階の存在。普通の子供になど到底知り得るはずのない、組織的な隠ぺい。 そんな事実をあのとき俺にはっきりと伝えた友達こそが、その地縛霊そのものだったのではないかということだ。

昨日、廃病院の4階で俺たちが取った行動には、実は深い意味があったらしい。 一つは「御神供」の箱の蓋を開けたこと。もう一つはそこから這い出した怨霊塊に、邪教の神体をぶつけ相殺させたこと。

俺たちにとってはまったくの偶然でしかなかったその二つの行いによって、あの空間に満たされていた「虐縛の結界」と呼ばれる封印が完全に破られたということだ。

そう、あの恐ろしい化け物に仲間の一人が咄嗟に投げつけたあれは、祭壇の上に置かれていたあの不気味な神の像だったようだ。 なんでも金目のものだったから、俺たちの見ていない隙にこっそり持ち帰ろうとしていたらしい。

とにかくその封印が解けたことによって、邪教神に囚われたままになっていた母子の魂の開放、そしてすでに邪教神に喰われ怨霊と化した母子の魂の浄化という、二つの大きな成仏が叶うことになったのだそうだ。

その行動に導いたのは、紛れもなく地縛霊による憑依の力。

しかしたとえそれを成し遂げられたとしても、当然あの場所に踏み入れた俺たちには幾多の亡者の群れが憑き纏ってきてしまう。 そんな俺たちを最後まで死なせないため、命を繋ぎこの住職のもとまで導いたのもまた、地縛霊による言霊の力。

そういえば廃病院で祭壇部屋を出た矢先に聞こえた、帰る前にお祓いに行こう、という言葉…… あれは俺たちの誰の声でもない。

あれは確かに懐かしい友達の声だった。

幼くして母親を亡くした悲しみと、自身が亡くなってなおも母親を慕い続ける純粋な思い。 だからこそ目の前で母子の絆が次々と儀式の生贄にされていくことが、あいつにとって何よりも耐え難かったのだろう。

生きている人間の行いならば止めることができても、神の犠牲となった魂を救うことまではできない。 その可哀そうな母子たちを救ってやってほしいという強い願いを、あのときあいつは俺に託していたんだ。

あいつがなぜ俺を選んだのかはわからない。子供同士だったから何となく波長が合ったのだろう。 幽霊に取り憑かれるってのは、まさにそういうことなのかもしれないな。むしろ生きている人間同士と同じで、お互い様ってことだ。

俺にとってあのときの病院生活は、あいつがいてくれたお陰で本当に明るくて楽しかった。 あいつがたとえ地縛霊だろうと何だろうと、そのことだけは変わらない。

この思い出はこれからもずっと忘れない。 きっと無事に成仏してくれと、願わずにはいられない。

遠くで微かに、ありがとな、という声が聞こえたような気がした。

俺の目は涙で曇っていた。

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