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雪月花 第二十四夜 春風

その人は、春風のような人だった。

そこにいるだけで、場の空気がやわらぐ。 声をかけなくても、自然と人が集まってくる。 それでいて、前に出すぎることはない。

村一番の旅籠―― 雪月花の女将さん。


ゆき姉は、その人の姿を、何度も見ていた。

朝、旅籠の戸が開くとき。

夕方、行燈に火が入るとき。

その行燈に書かれた、細い文字。

春なびく
絶えぬ流れの
音に寄り
世に結びゆく
夢の湯けむり

ゆき姉には、まだ読めない。

でも、その形そのものが、不思議と落ち着く。

湯気と、灯りと、同じ場所にあるもの。


「あら、ゆきちゃん」

呼ばれると、いつも少し、胸が詰まる。

女将さんは、桜色の着物を着ていた。

派手ではない。 けれど、春の中にいると、ちゃんと分かる色。

「もうすぐ、お花見ね」

そう言って、やわらかく笑う。

「今年は無事、二人も来られるのよね」 「はい!ありがとうございます」

隣には、旦那さんがいた。

多くは話さない人で、女将さんの一歩後ろに立っている。

それだけで、一緒にいるのが分かる。


花見の日。

神社の広場に、人が集まった。

山桜が、何本も、ゆるやかに咲いている。

白に近い花。 少しだけ、紅を含んだ花。

その中で、一番古い桜の下に、ござが敷かれた。

注連縄のある、大きな桜。


はる坊は、元気だった。

走って、笑って、すぐに座る。

そして、萌黄色の大きな風呂敷包みを、じっと見つめていた。

女将さんお手製の、花見弁当。

蓋が開く。

白い俵飯。 焼き魚。 香の物。 卵。 山の菜。

色が、多い。

「わぁ」

はる坊が、声を上げた。

それを聞いて、周りの大人が、つられて、少し笑う。


ゆき姉は、黙って見ていた。

これまで作ってきたのは、お粥ばかりだった。

白くて、やわらかくて、味の薄いもの。

悪くはない。 でも――

弁当の中は、生きているみたいだった。


「ゆきちゃんも」

女将さんが、声をかける。

取り皿を、そっと差し出す。

その手が、あたたかい。


桜の花が、風に揺れる。

ひらひらと、落ちる。

その下で、人は笑っている。


ゆき姉は、胸の奥が、少しだけ、ざわつくのを感じた。

それが、何なのかは、まだ分からない。

ただ、春の中に、立っている。

それだけだった。


――第二十四夜・了

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