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雪月花 第三十三夜 薬売り

昼下がり。

村の辻に、見慣れない敷布が広げられた。


薬箱を下ろし、男は、ゆっくりと背筋を伸ばす。


箱を開く音は、派手ではない。

けれど、なぜか、人の足を止めた。


「――さて」


低すぎず、高すぎず。

よく通る声。


「この辺りは、湯がいいと聞きましてね」


通りがかった旅人が、一人、立ち止まる。


「湯がいい土地は、身体も、よく応える」


薬包を一つ、指先で転がす。


「効く、効かない、そういう話じゃありません」


「――合うか、どうかです」


村人が、もう一人。


「温泉に入ると、身体が緩むでしょう」


「緩むと、巡る」


「巡ると、溜まっていたものが、外へ出る」


にこりと、穏やかに笑う。


「そこを、少しだけ、手伝う薬です」


誰かが、 「怪しいね」と言いかけて、 言葉を引っ込める。


理屈は、通っている。


箱の中には、粉薬、丸薬、乾いた根。


どれも、見たことはある。


「湯と一緒に飲むもよし」


「湯上がりに、一服するもよし」


「この土地の湯なら、無駄にはなりません」


値段は、高くない。

安すぎもしない。


「……ひとつ、もらってみようか」


そう言う声が、ぽつりと、落ちる。


男は、深く頭を下げた。


少し離れたところ。


軒下の影に、一人の男が立っている。


薬売りとともにいた、顔に疵のある、無骨な男。


腕を組み、口は、結んだまま。


視線は、人ではなく―― 地を見ていた。


踏み固められた道。


湯気の流れ。


風の向き。


それから、人の集まり方。


売り手の声が、強くなった瞬間。


男の目が、わずかに細くなる。


「……なるほど」


小さく、誰にも聞こえない声。


この村は、拒まない。


だが、簡単にも、飲み込まれない。


そのことを、もう、理解していた。


辻の喧騒から、少し離れた場所。


庵。


囲炉裏に、火。


鍋が、静かに、揺れている。


米がほどけ、大根が透ける。


白い湯気が、天井へ、ゆっくり昇る。


「……もう少し」


はる坊が、火加減を見る。


ゆき姉は、黙って、鍋の様子を見ていた。


外の声は、ここまでは、届かない。


ただ、風に乗って。


知らない薬の匂いと、交じることのない、懐かしい香り。


今日も、それは、変わらずに、そこにあった。


――第三十三夜・了

2026年2月
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