雪月花 第四十四夜 道
「……くっ」
爺ちゃんは瓦礫の中で、仰向けに倒れたまま――
さっきまでのことを、思い出していた。
社の中。
片膝をつく、疵の男。
息は上がっている。
だが、目は死んでいない――
爺ちゃんは、短く問う。
「……何故、だ」
声が、わずかに震えた。
疵の男は、顔を上げない。
「お前には……関わりなきこと」
即答だった。 拒絶でも、威嚇でもない。
断定。
爺ちゃんは一瞬、言葉を探す。
「村の者が、狙われておる」 「それで、関わりなきとは――」 「人ではない」
遮るように、低い声。
「妖だ」
爺ちゃんの喉が鳴る。
「……お前、それは」 「人は、斬らぬ」
疵の男は、初めて爺ちゃんを見る。
その目に、熱はない。 迷いもない。
「かつて」 「人を……救い続けた者がいた」
短い言葉。
それ以上は、ない。
だが―― 爺ちゃんには、分かってしまった。
救い続けていた。 妖と関わりながら。 それでも、人を。
「その者は……」
問いかけかけて、爺ちゃんは言葉を飲み込む。
疵の男は、続きを許さない。
「奪ったのは、妖だ」 「誰も、信じなくとも」
一拍。
「だから、狩る」
理由は、それだけ。
爺ちゃんの肩が、わずかに震える。
「……人が」 「見捨てたとは、考えぬのか」
苦し紛れの言葉だった。
疵の男の眉一つ、動かない。
「考えた」 「だが、それで人を憎めば」
一拍。
「――悲しむ」
その瞬間。
爺ちゃんの胸が、強く締めつけられた。
この男は―― 危うい。
思っていた以上に。
「お前……」 「止めるな」
疵の男は、立ち上がる。
「これは、俺の生き方だ」
諭しは、届かない。
説得は、意味を成さない。
刹那。
爺ちゃんの呼吸がひとつ、乱れた一瞬を――
男は、見逃さなかった。
一撃。
視界が反転する。
身体が宙を舞い、背後の木戸が砕け散る。
――そして、今。
砕けた木戸の向こうから、疵の男が歩を進める。
爺ちゃんは、瓦礫の中で息を整えながら、思っていた。
止められぬ。
あれは―― 仇討ちではない。
正義でもない。
ただ、人を救っていた者の背を、最後まで裏切らぬと決めた男の道。
その背中が、あまりにも、人の形をしていたから。
――第四十四夜・了
