雪月花 第四十七夜 白
「……いたい……」
声。
細い。
擦り切れたような。
「いたいよ……」
白の奥で、音だけが先に戻ってくる。
「……おかあ……ちゃん……」
視界が、ゆっくりと、滲む。
最初に見えたのは―― 砕けた刀。
折れ、歪み、役目を終えた鉄。
その傍ら。
血に沈む、はる坊の身体。
「……」
声が、出ない。
喉の奥で、何かが、詰まる。
「……こんな……」
掠れた声。
「……ことに……なる……なんて……」
顔を上げる。
雪の向こう。
片膝をつき、子供を庇うように、身構える男。
疵の男。
息は荒い。 だが、視線は逸らさない。
「……お前のような……」
声が、震えながらも、続く。
「……化け物から……」
「……人を……救うために……」
一拍。
「……妻は……」
唇が、歪む。
「……綾乃は……」
それ以上は、言葉にならなかった。
背後。
子供が、男の背に縋る。
「……いた……い……」
小さな声。
「……おかあ……ちゃん……」
その瞬間。
空気が、変わる。
冷たさが、意味を失うほどの、冷え。
音が、遅れる。
男と、子供と、その言葉が――
一斉に、凍る。
白く。
硬く。
次の瞬間。
砕けた。
音もなく、雪に還るように。
肉も、骨も、悲鳴も。
すべて、欠片になって、舞う。
吹雪の向こうから、人影が、よろめく。
雪月花の女将。
息を切らし、目を見開いたまま。
「……ゆき……ちゃん……」
それだけ。
名を呼んだ、ただそれだけで――
足元から、凍りつく。
驚く暇もない。
砕け、崩れ、消える。
吹雪。
ただ、吹雪。
音も、動きも、意味を失った時間。
永遠のような、一瞬。
その中で。
立ち尽くす、ゆき姉。
「……気づいてた……」
声は、自分にしか届かない。
「……あのとき……」
視線が、はる坊の亡骸に落ちる。
「……自分の手で……」
「……終わらせていれば……」
答えは、ない。
ただ、白が、舞う。
やがて。
ゆき姉は、小さく、背を向けた。
「……ごめんなさい」
誰に向けたかも、分からない言葉。
吹雪の中へ、溶けるように、消えていった。
――第四十七夜・了
