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雪月花 第七十一夜 反転

一体、何が起きたのか。

それは、一瞬の出来事だった。


光。

強烈な。

そして――


張り裂ける冷気が、叩きつけられる。

宿が、一瞬で色を失ったかのように――

悲鳴を上げて、崩れゆく。


いらない。

もう。

全部――


全部、最初から――


無意味だった。


「女将さん!」


声は、届かない。

ただ、吹き荒れる吹雪の中で、すべてが壊れていく。


とにかく、幽花と子供を守らなきゃ。

皆で、吹雪の前に立ち塞がる。


どうする。

どうすれば。


――ゆき姉。


ふと。


声が聞こえた気がした。


誰の――


はる坊の。


そうか。


もう、俺。


――帰らなきゃな。


やっと――


やっと。


鬼が、叫ぶ。


燃やせ、と。


「波流さん!」


背後から、声がする。


振り返ることはなく。


行ってきます、と。


言葉にせず。


視界は、ただ、白だった。


足が、一歩、一歩と。


地獄へと、潜っていく。


――来ないで!


ゆき姉の声。


――違う。


もう、違う。


俺は、身勝手だった。


こんな汚れた俺でも――


赦して、くれるのかな。


――ゆき姉。


――はる坊。


もう、一人にしないで。


一緒に――

こっち側に。


ふと、音が消える。

風も。

温度も。

――重力も。


辺り一面、白。

ただ、白。


身体が、浮き上がる――

動けない。


そして、


「だめ――」 「まだ、寝てなきゃ」


――雪女の声。


「ねえ、はる坊……」 「知ってる?」


お伽話が聞こえる。


「内緒だよ……」 「雪女にはね……」 「雪女しか知らない――」


浮かび上がる――

あの桜の下で見た、ゆき姉の姿。


その虚ろな瞳が、ゆらり、と。

こちらを見据えたまま――


影が、迫る。


額に、額が触れる。


――冷たい。


その瞬間――

体の内が、ひどく熱を帯びる。


吐息までもが、炎のように。


視界が、滲む。


違和感。


ゆき姉の顔が、解けるように。


やがて――


幽花、そして――

兎が、重なる。


鼻を撫でる、湯とアロマの香り。

そして――

全身の肌が、黒く焼け焦げる匂い。


三つの焔が、脳を焼く。


闇を見つめる、瞳が重なる。

同じ動き。

同じ息。

そして――

三つの両の手が、頬をなぞる。


「奪って――いいよ」


耳元で、声が重なる。


「はる坊のこと、何でも――」


全身から、炎が立つ。

視界が、赤い。

動けない。

思考が虚ろになっていく。


そして――


唐突に、目の前で、凍てつき崩れる、三つの顔。


「どうして……触れてくれないの?」 「あの人に……したみたいに」


その氷の欠片が、全身を切り刻む。

沸騰した血液が、白を染めていく。

地獄。

雪と、焔の――

まるで、殺し合い。


本当のゆき姉は……

どこに。


ふと。

きらり、と。


……涙?


辿るように、足が、前に出る。


動け。


――来ないで。


か細い、涙声。


欠片に、両の膝が切断される。


大量に流れ出る、赤。


それでも、前へ。


――ゆき姉。


やがて、白の奥深く。


そこには――

最初のゆき姉。


たった一人、小さく、ふさぎ込んで。


言葉を、渡す。


「――ただいま」 「ゆき姉」


声にふと、見上げたその泣き顔。


時が、止まる。


血に汚れた掌で――

その震える小さな両肩を、そっと。


「――ごめん」 「赦して……」


――そこで、途切れた。


――第七十一夜・了

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