雪月花 第五十夜 旅立ち
村には、古い寺があった。
山裾に寄り添うように建つ、小さな寺。
「あの……」
声をかけると、軒先を掃いていた年老いた住職が顔を上げた。
「んんー?」
ただ、希望に縋るために、話す。
白咲村の災い。 雪女の噂のこと。
そして――
住職は黙って聞いていたが、やがて顎に手を当て、ゆっくりと口を開いた。
「雪女がどこへ行ったか……か」
しばらく考え込んだ末。
「まあ、これは役に立つかどうかはわからんが」
そう前置きして、山の向こうを指した。
「ここから遠く西の山の向こうにな、沼に湧く湯、というのがある」 「沼に……湯、ですか」 「うむ。そしてそこには古より、人とも妖ともつかぬ妙なものが棲み着くと……」 「そんな話を、聞いたことがある」
住職は少しだけ眉をひそめた。
「そやつなら、何か知っておるかもしれん。……いや」 「もっとも――」 「生きて帰れるかどうかも、わからんが……」
少しの沈黙。
はる坊は、うなずいた。
「ありがとう……ございます!」
住職が目を落とす。
「すまないな、こんなことしか力になれんくて」 「もう帰る村もないというに……」
寺を出て、はる坊は世話になっている家へ戻った。
戸口に立つと、主人が振り向いた。
「おう、戻ったか」
はる坊は、言葉を探すように視線を落とした。
「……あの、これまでのこと、何てお礼を……」 「いいさ、気にするな。隣村同士、困ったときは助け合いだ」
主人の言葉は、温かかった。
「それで、あの……」 「ん?」 「俺、もう、行きます」
主人は、少し驚いたような素振りをした。
「……頼る宛て、あるんか」
はる坊は静かに頷く。
主人はしばらく黙っていたが、その目を見て、言った。
「……そうか、それなら良かった」 「気ぃ付けてな」
出立の前、おかみさんが奥から出てきて、小さな包みを差し出した。
糒と、少しばかりの銭だった。
「道中の足しにしな」 「……ありがとうございます」
はる坊は深く頭を下げた。
「お世話になりました」
家を出る。
振り返ると、村の屋根が夕暮れの向こうに並んでいた。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
はる坊は背の包みを背負い直し、西の山へ続く道へ歩き出した。
今度こそ、伝えなきゃ――
ありがとうって。
――第五十夜・了
