雪月花 第五十七夜 焔
「桜が咲いたら」 「決して振り返るでないぞ」 「鬼に、食われる」
あのとき、選ぶこともできた。
鬼か、死か。
それでも――
怖かった。
兄さまに、もう会えない気がして。
「わしは、過去を願った」 「お前は、違う」 「きっと、その先へ行ける」
それでも――
鬼は、容赦ない。
命を、粗末にするな――
それならいっそ――
はる坊の手が、
種を置きかけて、止まる。
朝、目が覚めれば、
夜桜がいる。
水辺で、言葉を交わす日々。
ただ、そこにいる。
言葉には、ならない。
夜桜は、月を見上げる。
皐月か――
桜が咲くには、
少し、遅すぎた。
見送るその背中が、
重なる。
次に生まれ来るときは――
あんな背中に、
死ぬほど甘えてみたい――
兄さま――
桜が、光を帯びる。
目を離さぬ、その背中越し。
誰も知らぬ、泣き顔のまま――
天を焦がす、焔に抱かれて。
崩れゆくその影を、
確かに感じながら。
その光を背に、
伸びる影を帯びたまま――
はる坊の意識は、
やがて、
鬼へと結ばれていった。
――第五十七夜・了
